あるがまま瞑想とは何か——一般的な瞑想との違い
あるがまま瞑想とは、何かに強く集中したり、無になろうとしたりするのではなく、今この瞬間に起きていることにやわらかく気づき、ただそこにあり続ける瞑想のことなんですね。
「いまここ瞑想」「気づきの瞑想」「プレゼンス瞑想」「観察瞑想」とも呼ばれます。すべて本質的に同じことを指しています。
一般的に瞑想というと、次のようなイメージを持つ方が多いと思います。
- 何かに強く集中する
- 雑念を消して無になる
- 特別な境地や神秘体験を得る
- 呼吸だけに意識を向け続ける
このような瞑想があることも事実です。ですが、あるがまま瞑想はこれらとは異なるんですね。
あるがまま+気づくの2つから成り立っている瞑想
あるがまま瞑想の核心は「あるがまま」+「気づく」こと。この2つが組み合わさっています。
思考・感情・身体感覚・外界の音といった今この瞬間に起きていることに、あるがままに、やわらかく気づきながら、それに巻き込まれずにただそこにあり続けます。
最初のうちにわかりにくいのですが、続けていくと、悩みや煩悶が解放されていき、心が自由になっていきます。また内側から幸福感がわきあがってくると同時に、意識もクリヤーになっていきます。
これがあるがまま瞑想です。
今ひとつピンと来にくい、イメージを想像しにくい、どこかぬるいと感じられやすいのですが、実際にやってみることで「なーるほど」とわかる、実際にやってみて「腹落ちする」「理解できる」タイプの瞑想です。
「無になろう」とするのではなく、今起きていることをそのまま受け止める。「集中しよう」と力むのではなく、自然に気づいている状態にとどまる——この違いがとても重要です。
言葉ではうまく伝わりにくいため、私のほうでは毎月、リアルでの瞑想会を行っています。こちらに参加にあたっての諸々が書いてありますので、お読みになり、参加ができそうでしたならお問い合わせをください。
あるがまま瞑想・マインドフルネス・ヴィパッサナーの違い
あるがまま瞑想に似た言葉として、マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想があります。ここでは、これらとの違いを簡単に整理します。
マインドフルネス
マインドフルネスは、主に医療・ビジネスの文脈で普及した実践ですね。ストレス軽減や集中力向上を目的とすることが多くなっています。
呼吸や身体感覚への注意を意図的に向け続けるという「Do(する)」の側面が強くなる場合もあります。
また善性、利他、愛、因果律の大切さといった霊性はほとんど含まれていません。
ヴィパッサナ瞑想
ヴィパッサナー瞑想は、テーラワーダ仏教に伝わる観察瞑想ですね。思考・感情・身体感覚を観察していく実践です。
あるがまま瞑想とは非常に近い実践になります。ただしヴィパッサナ瞑想は、仏教的な文脈・用語・修行体系の中で語られることが多くなります。
そのため宗教儀式があったり、原始経典に縛られたり、伝統の枠を超えられない点などのデメリットもあります。伝統的な宗教ですので、好みが分かれるところになると思います。
あるがまま瞑想
あるがまま瞑想は、マインドフルネスやヴィパッサナ瞑想と本質的に重なります。
ですが「ナチュラルな気づき」と「ただある」という自然な状態にただ留まる(Be)」点をより強調しています。
また真我系ヒーリングを採用することで、比較的短期間で瞑想の効果を感じることができるように編成してあります。
伝統的な宗教が見落としている「霊性」という重要な点も踏まえ、宗教的な縛りもなく、その人らしい自然な良さが伸び伸びとしてくる特徴があります。
また明るくきよらかなオーラが出てきて、心が高揚し、自然なかたちで社会に益するようになり、意識も高次元化もしていくことなどの特徴があります。
特定の宗教や方法論にとらわれない形でお伝えしています。
また、あるがまま瞑想は「瞑想の大半は解放と浄化のプロセス」になります。積み上げるのではなく、余計なものが落ちていくことで、本来の自分が自然に現れてくる。これがあるがまま瞑想のスタンスです。
あるがまま瞑想はなぜ『始め』におすすめなのか
お伝えしている瞑想は、観察瞑想、いまここ瞑想、プレゼンス瞑想、あるがまま瞑想、気づきの瞑想などなど、いろんな言い方ができます。
しかし一般的に思われている「瞑想のイメージ」とは異なりますので、戸惑うことがあるかもしれません^^;
けれども、これが本当の瞑想なんですね。
といいますか、いきなり何らかの対象に集中しようとしない。
まずは「気づく」というところから始めていきます。
で、「本当の自分」「生命本来」に立ち戻っていくようにします。
これが一里塚。
名色分離智(プレゼンス)といいます。
しかも瞑想のプロセスのほとんどは「解放」「浄化」になります。解放・浄化を経て、「本当の自分」「生命本来」に立ち戻っていきます。これが肝要。
最初から何か特別な境地に入ろうとか、集中状態を作ろうとか、無になろうとか、そういうことではないんですね。
むしろ、今起きていることにやわらかく気づきながら、余計なものがほどけ、生命本来に立ち戻っていく。そのような流れになります。
まずは「気づく」ところから始める
現代人は思考が強く、考え・観念・意味づけが先に立ちやすいところがあります。
ですので、いきなり強い集中をかけるよりも、まずは「気づく」「見守る」「受け止める」ところから始めたほうが、かえって本筋に入りやすいんですね。
ここでいう気づきは、頑張ってつかまえにいくというより、やわらかく受け止めてしまう感じです。
この入口がとても大事です。
あるがまま瞑想の具体的なやり方——7つのステップ
あるがまま瞑想の具体的なやり方を、7つのステップでお伝えします。
ただし、これはあくまでも「入り口の目安」です。やり方を覚えようとするより、実際にやってみることが大切です。
- 座る姿勢を整える
椅子でも床でもかまいません。背筋をゆるやかに伸ばし、力を抜いて座ります。目は軽く閉じるか、半眼(半分開いた状態)にします。 - 力みを抜く
肩・顎・手の力を意識的に抜きます。「リラックスしなければ」と力まず、ただ余計な力を抜くだけでよいです。 - 今この瞬間に「気づく」
呼吸の感覚、身体のどこかの感覚、音、空気の感触——何でもかまいません。今この瞬間に起きていることに、やわらかく気づきます。「気づこう」と力むのではなく、感じてしまう・わかってしまうという方向で行います。 - 思考が浮かんできたら、ただ気づく
考えが浮かんできたとき、それを止めようとしたり、追いかけたりしません。「ああ、考えが浮かんだな」とただ気づき、そのままにします。思考を消そうとするのではなく、気づいてそのままにしておくのがポイントです。 - 感情・感覚にも同じように気づく
不安、落ち着かない感じ、眠気、身体のどこかの緊張——どんな感覚・感情が浮かんできても、同じように「ただ気づいてそのままにする」を続けます。 - 「いまここ」に繰り返し戻る
気づいているうちに、また考えの中に入り込んでしまうことがあります。それは当然のことです。気づいたら、また今この瞬間に戻るだけです。何度でも繰り返してかまいません。 - やわらかさを保つ
全体を通じて、やわらかさを大切にします。硬くなっていないか、力んでいないか、に気づいたら、またゆるめます。「やわらかく気づいている」という感覚が、あるがまま瞑想の土台です。
まずは5分から10分、できれば20分を目安に、毎日続けることをおすすめします。長く座ることよりも、毎日続けることのほうが大切なんですね。
あるがまま瞑想でやってはいけないこと
あるがまま瞑想でよくある間違いがあります。主立った「やってはいけないこと」を5つピックアップします。
①無になろうとする
思考をなくそう、何も考えないようにしよう、と力むのは逆効果です。考えが浮かんでも、それに気づいてそのままにするだけで大丈夫です。
②強く集中しすぎる
「集中しなければ」と力むと、それ自体が思考になります。また「やわらかさ」が育まれなくなります。
あるがまま瞑想はDoから始めてもBeとなっていきます。何かを意図的に操作する、力む、なろうとする姿勢では瞑想が適切に進んでいきませんので、やさしく、やわらかく気づいているという自然な状態から行うことが大切です。
ちなみに「やわらかさ」は、「リラックス(くつろぎ)」と関連があり、また下丹田の健全な育成にもつながっていきます。
やわらかさは重要なエッセンスになります。
③客観視(メタ認知)で「上から見る」
「自分から離れた場所に視点を設けて観察する」という客観視のやり方はやってはいけません。
これは意識を二分すること(解離)を引き起こし、脳性疲労や情緒の不安定を招くからですね。
観察とは別の場所から見ることではなく、気づきそのものに根ざしていることです。「やわらかく気づく」というニュアンスを、実践を通して体得、理解していくことが大切です。
④「できているか」を確認しようとする
「これで合っているのか」「うまくできているか」と頻繁に確認しようとすると、また思考の世界に入ってしまいます。
確認しようとする気持ちが浮かんだら、それもただ気づいてそのままにします。
瞑想中、日常の中においても、気づいても「そのまま」「あるがまま」にしていくようにします。
⑤枯れ木のような静寂を目指す
静かになること自体は悪くありません。しかし、枯れ木のように静まり返り、生き生きとした感じややわらかさが失われていくのは危険モードなんですね。
意外と瞑想あるあるなんですが、生き生きさを失うと美徳の源泉である霊性を損ねるようになります。そうすると人間が小さくなり、個人主義からの脱却も難しくなることが多い印象です。
生気溌剌(はつらつ)として、良い意味ので子どものように元気になっていくのが望ましいと思います。
あるがまま瞑想の根底にはやさしさ・慈しみがあります。冷たく硬い静寂は本筋からズレているんですね。少なくとも、お伝えしている瞑想では、そのようにとらえています。
名色分離智(プレゼンス)が一里塚になる
「本当の自分」「生命本来」に立ち戻っていくうえで、一つの大事な目安になるのが名色分離智(プレゼンス)です。
自分の思いや感情、考え、身体の感覚、外界の出来事などを、ベッタリ一体化して受け止めるのではなく、少し見えてくる、少し距離が生じてくる。そうしたことが起きてくる一里塚なんですね。
このことが実際に起きてきますと、ある種の身体感覚をともなうようになります。
瞑想の大半は解放と浄化のプロセス
瞑想というと、何かを積み上げていく、特別な力を得ていく、神秘的な体験を増やしていく、そういうイメージを持つ方もいます。
けれども、お伝えしている瞑想は、実際には逆になります。
瞑想の大半は解放と浄化です。
余計なものが落ちていく。とらわれが減っていく。緊張がゆるんでいく。思い込みが薄れていく。そのような過程の中で、生命本来が自然に色濃くなってくるんですね。
あるがまま瞑想で本当の自分(真我)に立ち戻っていく
で、「本当の自分」「生命本来」とは、やわらかく、やさしく、慈しみにあふれていて、静かで落ち着いていて、ほっこりして、微笑んでいる、生き生きとしている、力強いといった有り様なんですね。
これらが渾然一体となったエネルギーとして誰の中にもあります。で、これが開眼していく、色濃くなっていくプロセスが瞑想になります。
でありながら、意図的に作ろうとか、なろうとかしません。
自然であり、自然に開けてくるアプローチで取り組んでいきます。
一般的に思われいる瞑想とは、イメージも違いますし、プロセスも違うんですね。
ですので戸惑うことが多く出てくるかもしれません。
本当の自分・生命本来とはどんな状態か
ここでいう「本当の自分」「生命本来」は、観念で作った理想の状態ではありません。
もっと実際的なものです。やわらかい。落ち着いている。ほっこりしている。過剰に反応しない。どこかに余裕がある。やさしさや慈しみが自然に出てくる。
そうしたのが渾然一体となった状態であり感覚です。
そして、これは誰か特別な人だけに備わっているものではなく、もともと誰の中にもあるんですね。
意図的に作ろうとしないことが大切
ここで多くの方が勘違いしやすいのは、「やさしくならなければ」「落ち着かなければ」「こういう状態にならなければ」と意図的に作ろうとしてしまうことです。
けれども、意図的にやりすぎると、むしろ観念的になってしまいます。
この実践では、無理に作るのではなく、あるがままで、いまここで、気づきをともなって続ける。
すると、結果として、こうした生命本来の有り様が開けてくるんですね。
自然に開けてくるアプローチを取る
ですので、お伝えしている瞑想は、DoではなくBeになります。
何かを意図的に操作し続けるのではなく、あるがままにし、気づきをともない、余計な力みを減らしていく。
そうすることで、自然に開けてくるアプローチなんですね。
この感覚は、実際にやってみないとわかりにくいかもしれません。ですが、ここがかなり重要なポイントになります。
あるがまま瞑想を続けるためのポイント
それで「あー、瞑想って無理だなあ」「難しそうだな」と思って、止めていく人が実は非常に多かったりします^^;
この瞑想は「続ける」ということがとても大事なハードルになってきます。ですので、口を酸っぱくして「続けましょう」「続けましょう」と言うことになるんですね。
もう「続ける」の一言になってきます。
それで、瞑想を続けている人は、何年も続けてきています。10年、20年続けているような人もいます。
私自身、精神修養の道は40年以上歩んでいますし、試行錯誤、あっちにぶつかり、こっちにぶつかって、それでようやく今では、他の人にもお伝えできるようにはなっていますが、試行錯誤の連続です。
瞑想は続けることが最も大事|続かない理由と続けるコツ
瞑想には意欲・熱意が欠かせない|続けるために必要な精進力とは
なぜ途中でやめてしまう人が多いのか
やはり、すぐに結果を求めてしまうと難しいんですね。
「これで合っているのか」「いつできるようになるのか」「何か変化はあるのか」と未来ばかり見てしまうと、だんだん気持ちが萎えてきます。
また、一般的な瞑想イメージと違うために、「自分が思っていた瞑想と違う」と戸惑ってやめてしまうこともあります。
だからこそ「続ける」が最大のハードルになる
結局、続けることそれ自体が大きな修行なんですね。
すぐに派手な成果が見えなくても、続けていく。未来を思いすぎず、今できることをそのままやっていく。この積み重ねが何より大事です。
本当に、続けた方が果実を味わいます。
長く続ける人は本当に長い
続けている方は、やはり長いです。10年、20年と続けている方もいます。
振り返ると、ああ、もうそんなに経ったんだなあとなります。けれども、そのくらい続けてはじめて見えてくるもの、身についてくるものがあります。
ですので、焦らないことですね。お気楽に、けれども地道に続けていくことです。
『いまここ』が瞑想の核心である理由
で、観察瞑想、いまここ瞑想、プレゼンス瞑想、あるがまま瞑想、気づきの瞑想は、究極の坐禅にも通じます。
だからおすすめもしています。
「瞑想ができるようになるまでに、どれくらい時間がかかるんだろうか」と考えると、気持ちが萎えてくるかもしれませんが、それ故に「いまここ」なんですね。
未来のことを思い過ぎると、切なくなったり、なんだかなあと思うモードになります。だからこそ「いまここ」モードになって、淡々と続けていくことなんですね。
で、続けていて振り返ると、ああ、もう2年になるんだなあということになったり。
とにもかくにも続けていくことですね。
瞑想ができない5つの原因と対策|初心者がつまずくポイント完全ガイド
未来を思いすぎると萎えやすい
「いつできるのか」「どれくらいで変わるのか」と未来のことばかり考えていますと、今の実践から離れてしまいます。
そうすると、瞑想そのものより、未来への不安や期待のほうが強くなってしまうんですね。
それでは、せっかくの「いまここ」から離れていきます。
だから「いまここ」に戻る
ですので、未来に飛びすぎたら、また「いまここ」に戻るんですね。
今、何が起きているか。今、どう感じているか。今、何にとらわれているか。そこにやわらかく気づいていく。
この繰り返しが実践です。
振り返ると積み重なっている
やっている最中は、あまり進んでいないように感じるかもしれません。ですが、続けていると、あとで振り返ったときに「ああ、あの頃とは違うな」とわかってきます。
ですので、実践中はあまり先ばかり見ず、いまここで淡々と続けることなんですね。
あるがまま瞑想で大事な4つのポイント
で、続けるに当たって、航海図が必要です。正しい航海図。適切な航海図。その航海図を、今、ざっと思いつくままに書いていくと、次の通りです。
- 気づきはやわらかく
- 瞑想で、枯れ木のように静寂になっていくのは危険モード
- 瞑想の根底にはやさしさ(慈しみ)がある
- 現代人は思考・考え・思想に注意
などなどが大事な点ですね。しかし実際は一人一人違ってきます。自分一人では気づきにくいポイントもお伝えしています。
航海図を手にしたなら、続けていくことですね。お気楽に、ほほえみながら続けていくことですね。
ということでして、今日も瞑想をしてまいりましょう、続けてまいりましょう
観察瞑想のやり方|体・感覚・心の観察で大事なこと
瞑想の極意「気づき」とは何か|感じる力・感受力の本質「識別」を解説
気づきはやわらかく
気づこう、気づこうと強くやりすぎると、かえってうまくいかなくなります。
そうではなく、やわらかく受け止めるように気づく。
感じてしまう、わかってしまうという方向が大事です。
この「やわらかさ」は実習上かなり重要です。
枯れ木のような静寂は危険モード
静かになること自体は悪くありません。
けれども、枯れ木のように静まり返り、生き生きとした感じややわらかさが失われていくのは危険モードなんですね。
生命本来は、やさしく、やわらかく、慈しみにもつながる性質をもっています。
ですので、冷たく硬い静寂は、本筋からズレている可能性があります。
瞑想の根底にはやさしさ(慈しみ)がある
瞑想の根底には、やさしさ、慈しみがあります。
単に静かになればよいのではなく、心の土台にやわらかさやぬくもりがあることが大切なんですね。
その意味で、あるがまま・いまここ瞑想も、冷たい観察ではなく、やさしさを土台にした実践なんです。
現代人は思考・考え・思想に注意
現代人は、思考・考え・思想が非常に強いです。
ですので、気づきやプレゼンスの実践をしていても、いつの間にかまた頭の世界に戻ってしまうことがあります。
だからこそ、考えすぎていないか、観念にとらわれていないか、思想に巻き込まれていないか。そこに気づいていくことが大切になってまいります。
うまずたゆまずに、続けてまいりましょう!
「あるがまま瞑想」は、瞑想会でお教えしています。「4つの実践」としてまとめています。参加へのお問い合わせなどは、こちらをお読みになった上、お問い合わせいただければと思います。

