瞑想において最も重要なのは「気づき」です。本記事では、その気づきの本質を「感じる力」という視点から解説します。
瞑想の極意「気づき」とは「感じる力」
瞑想は「リラックス+気づき」が要です。
中でも「気づき」。
気づきが大切。
しかし「気づき」というと、実はわかりにくい言い方だったりするんですね。微妙なニュアンスを違えてしまうこともあります。
気づきとは感じる力
「気づき」とは、実のところ「感じる力(感受力)」のことだったりします。
あるいは「見守る力」ともいえます。
能動的ではなく、受動的なニュアンスなのがミソなんですね。
ちなみに「気づき」は「観察」ともいいます。観察瞑想としての意味やメリットについては、観察瞑想の意味と効果(気づきの瞑想)で解説しています。
気づきは「わかろうとすること」とは少し違う
ここは大切なところです。
気づきというと、「しっかり見なければ」「ちゃんと把握しなければ」「正確に観察しなければ」と思いやすいのですが、そうなると頭が前に出すぎます。
すると、気づきはだんだん「理解する作業」になってしまうんですね。
けれども本来の気づきは、もっと直接的です。対象を力んでつかみにいくというより、感じてしまう、気づいてしまう、わかってしまうというあり方に近いです。
この違いは非常に大きいです。
気づきを深めるにはリラックスが土台になる
この気づき(感じる力、感受力、観察力)を深めるには、もう一つのエッセンスが必要です。土台です。
それはリラックスです。
しかし、リラックスには、高次の心が関係しています。
リラックスは愛・慈悲を伴う
実のところ、リラックスは、愛・慈悲・慈しみを伴っているんですね。
正確にいいますと、良質なリラックスは愛、慈悲、慈しみをともなっています。
なので、愛、慈悲、慈しみが、実際的な見地から重視されるわけなんですね。
良質なリラックスを誘うからです。
しかも愛、慈悲、慈しみそのものが素晴らしい美徳です。
瞑想もできるようになる上、美徳も備わる。
故に、愛、慈悲、慈しみは重要な高い心・精神性と言えるんですね。
このことの理解と体験は非常に大切だったりします。
ナチュラルに感じられることが大切
瞑想の実践実習では、リラックス(慈しみ)を土台にして、「感じる」ように行っていきます。
で、やがてナチュラルに「感じられる」「感じてしまう」「気づいてしまう」という有り様になってきます。
このような「受動的な感じ方」「向こう側から来る感じ方」になるのが大切なんですね。
これは、自分で頑張って何かをつかまえる感じではありません。
むしろ、力みが抜けて、余計なことをしなくなるほど、自然に感じられるようになる。そういう方向です。
瞑想では、この「自然さ」が非常に重要です。
気づきが深まるとどうなるか
で、「感じられる」「感じてしまう」「気づいてしまう」というのが実現すると、瞑想が深まっていくようになります。
あるがままで自然に気づく
「受動的な感じ方」「向こう側から来る感じ方」になってくると、日々の生活においても「あるがまま」としているだけで、「気づいてしまう」「感じてしまう」「自覚してしまう」ということが起きるようになります。
「ナチュラルに気づく」ということですね。
で、こうした有り様になると、もう「あるがまま」一本で行うようになります。
気づかなくても気づいてしまいます。
この有り様が大切だったりします。
なお気づきは、実質、観察と同じ意味ですので、こちらの観察瞑想のやり方と大事なこともご覧ください。
気づこうとしすぎる段階を越えていく
瞑想を始めたばかりの頃は、「気づこう」「感じよう」としてしまうのは、ある意味では自然です。
けれども、いつまでもそこに留まっていると、「本当の意味での瞑想」にはなりません。
Do(する)としての瞑想を超えていく必要があります。
で、本当に深まってくると、努力して気づくというより、自然にそうなってしまう。これを「Be(ある)」といいます。
これが大きな違いです。
だから、ある段階からは、気づきを強くやろうとするより、余計な力みを抜いて、Be(ある)とした「気づき」になっていくのが大事になったりします。
瞑想が深まらない原因
「感じられる」「感じてしまう」「気づいてしまう」といったナチュラルに気づきは大切です。
ここでは瞑想が深まらない原因について、別の視点からも述べてみたいと思います。
感じる力が不足している
瞑想は、リラックス、落ち着き、やさしさだけでは深まらないんですね。伸びません。
リラックス、落ち着き、やさしが大切です。
けれども、これらがそろっていても瞑想は深まりません。
ですので、性格が温厚な方でも、瞑想がうまくできないケースも出てくるわけなんですね。
感じる力(感受力)がもっとも大切だからなんです。
いくら人柄がやさしくても、感じる力が弱ければ、瞑想の核心にはなかなか触れられません。
逆にいえば、感じる力が育ってくると、今までただの言葉だったものが、急に実感としてわかるようになってきます。
頭でわかろうとしすぎると伸びにくい
現代人は、とても頭を使います。
現代人は、昔の人に比べて、考える力、理解する力、整理する力が強くなっています。これは悪いことではありません。むしろ善いことなんですね。
ただ、瞑想では、この頭の働きが前に出すぎると、かえって邪魔になることがあります。
感じる前に「考えてしまう」。受け取る前に「解釈してしまう」。
すると、気づきは深まらなくなるんですね。
といいますか、いつまでも「Do(する)」としての気づきになり、「Be(ある)」へ移行できなくなってしまいます。
瞑想が伸びない方の中には、努力不足というより、頭の働きが強すぎるというケースもかなりあります。
なお、気づきの瞑想がうまくできない原因については、こちらでも別角度から詳しくまとめています。理解・解釈が強すぎることや、気づきそのものがズレてしまうケースについて知りたい方は、あわせてご覧ください。
感じる力と真我・チャクラの関係
感じる力は、真我意識(高次意識)とも深く関係しています。またチャクラとも関連があります。
真我・チャクラとの関係
高次意識である真我意識にしても、チャクラにしても、「感じる力」が高まりませんと、決してわからないんですね。
そのようにできています。
感じる力が充分でありませんと、真我意識はおろか、チャクラも、気もわかることはないんですね。
せいぜい思い込み、妄想、想像になってしまいます。
思い込み、妄想、想像のスピリチュアルが今は大変多いですので、このようになるリスクも大きくなっています。ですが、決してこの手のスピリチュアルのようになってはならないんですね。
感じる力がないと本物と妄想の区別がつかない
これは非常に重要です。
感じる力が弱いままでスピリチュアルや高次意識の話に入っていくと、言葉やイメージだけが先行しやすいです。
そうなると、実際には感じていないのに、わかったつもりになる。思い込みや空想を「体験」だと思ってしまう。
こうしたズレが起きやすくなります。
だからこそ、地味に思われがちなこの瞑想なんですが、着実に感じる力を育てることが大切なんですね。
着実に「感じる力」を培っていく
地味なんですが、感じる力を着実につちかっていくことが大切なんですね。
コツコツ続けていきますと、いつかわかるようになっています。
ただし、コツコツと続けていくことが大切です。
続けていくことができませんと、成果は得られませんので、その点はご承知ください^^
あきらめることなく続ける
しかし成果が得られないと、やがて止めてしまうようになってしまいがちです。
過去にも、こうした方々は少なからずいらっしゃいました。
人によってはいわゆるスピリチュアルのほうへと進んでいくことも。。。
けれども、こうなってしまうのはもったいないですね。せっかく真実を知るチャンスがありながら逃してしまうのはもったいないと思います。
地味でも、ここを通るしかない
感じる力を育てることは、派手ではありません。
すぐに劇的な結果が出るとも限りません。
けれども、ここを通らずに本質へ進もうとしても、結局は薄い理解や思い込みのところを回るだけになってしまいます。
瞑想は、地味でも本物の歩みを続けることが大事です。そうしていくうちに、あるときふっと「ああ、こういうことか」とわかる瞬間が来ます。
まとめ|瞑想の極意「気づき」とは何か
お伝えしている瞑想や実習は、正真正銘の歩みですし、真我へと進む道です。
気づき、感受力を高めることと、リラックス。
この2つが瞑想の極意といえます。
どうかコツコツと続けていただきたいと思います。
瞑想における感受力は大事
なお、気づきとは「観察」と言い換えることもできますので、気づきの瞑想という意味での観察瞑想の記事も参考になります。
こちらの意味や効果の解説と、実践方法の解説もあわせてお読みください。
また瞑想とは何か、気づきやリラックス、あるがままとの関係を全体像として整理したい方は、こちらの総合記事も参考になります。

