遍歴・歩み
で、こちらからの続きになります。私の修行体験や遍歴のくわしいことは、こちらに書こうと思います。
6才頃から「生まれ変わってきた」ことを実感
私は1965年北海道生まれです。思い返すと幼少の頃からスピリチュアル的なところがありました。
6才の頃、玄関の前で遊んでいたときですが、不意に「自分は、今ここで何やっているんだ?」という思いになったものでした。この思いの裏側には「ここに来る前(生まれてくる前)に別の世界にいた」「生まれ変わってきた」という感覚があったものです。
当時は「生まれ変わり」という言葉を知りませんでしたが、感覚的に「別の世界からやってきた(生まれ変わってきた)」ことを実感していました。
大自然の中にサムシング・グレート(神)を感じ続ける子ども時代
また自然の中に「何か偉大な存在がいる」というのを感じていました。サムシンググレートです。言い換えると「神(創造主)」になります。北海道の大自然の中に、いつも偉大な存在を感じながら遊んでいたものでした。
自然の風景、景色の中に、畏敬の念を抱かされる存在があふれているのを感じていたものでした。それ故に、自然の中で遊ぶのが好きで、その生命の輝きの中にいることが楽しかったものです。
こうした感覚を仏教では「一切衆生悉有仏性」とか、アメリカの詩人エマーソンやキリスト教のユニテリアン派では「汎神(はんしん)」といっています。
しかし宗教の教理とか云々以前に、子どもの頃から、こうしたスピリチュアルな感性を抱きながら育ってきました。
レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」まんまの子ども時代でした。今でもこうしたのがあります。
それと誰から教わることなく因果応報の作用も感じていました。
14才:エゴの陶太に目覚める
その後、14才の中学2年生の頃から、自己の内面に関心が向くようになります。学校に提出する作文に「将来、やりたいことは自分が持つ醜いエゴを無くすこと」と書いたくらいでした。
もっとも思春期特有の多感な時期ですので、誰しも、こうした傾向は多かれ少なかれあったのではないかと思います。私の場合は、この傾向が強かったんだと思います。
16才:インドの輪廻転生を知って天命をさとる
高校一年生の6月だったと思いますが、生まれ変わりの仕組みを知って大変な衝撃を受けます。輪廻転生ですね。
漠然と生まれ変わりがあることは幼少の頃から感じていました。
しかし、輪廻転生に関してくわしいことを知ったときは、雷にバーンと打たれて、体に電撃電流が走り、「自分は輪廻から解脱するために生まれてきたんだ!」と、これまたバババババーンと衝撃を受けながら何かが開くように天啓を感じて、天命をさとったほどでした。私が今後歩む人生の方向性を直感したんですね。
これは決して比喩ではなく、また大げさな表現ではなく、本当に体に電流が走って、ババババーンっとスパークしましてね。封印されていた何かの箱(意識)が開く感じとでもいいましょうか。衝撃的な体験だったものです。
で、その後、このときの直感通りに歩んできていますので、不思議なものです。この時の直感はある種の啓示であるかのようです。天命をさとるといいますか知るといいますか。
とにもかくにも輪廻転生に、すごいショックを受けたと同時に、この生涯で自分が歩む方向性を、このときに自覚したものです。
輪廻転生
なお現在は「生まれ変わり」に対して殊更な気持ちはありません。
というのも、輪廻転生も一つの概念となって、その人を呪縛してしまうところがあり、あまり生まれ変わりだの、輪廻転生だのと考えるのはよくないことが腹落ちしたことがあるからです。
それと、とらわれそのものが全般的に減るにしたがって、輪廻転生もほとんど気にならなくなってしまったというのもあります。
けれども、この時は衝撃的だったものです。人生の方向を決定付けました。
この瞬間、瞬間の行為が、未来を決定し、来世までも決めてしまう。いえいえ、現在の自分の有り様も過去世の行為によって決まっている。
ちょうどこの頃、それまでと違って何故か物事がうまくゆかなくなり、不遇感をおぼえることが多くなり、悩むことも多くなっていました。
運命の歯車が変わったことを感じていたこともあったと思います。その頃の自分を取り巻く諸々が良くないほうに変化し、「運が悪くなった」というのも感じていました。で、「そうなるのも前世の業?」と思い、輪廻転生の実相は超弩級の衝撃となったものでした。
そうしたこともあって、輪廻から脱却することが根本的な解決ではないかと思い、解脱を切望するようになったものでした。
修行を始める
それからは、いても立ってもいられなくなって、自分で工夫をして修行を始めます。解脱を目指して自己流の修行をはじめます。
ところが、具体的にどうすればよいのかがわかりません。今と違ってわかりやすいガイド本なんかはありません。難しい宗教書ばかりです。
しかし、輪廻からの脱却を目指すなら、まず「善い人間になることが大事じゃないのかな?」、で、「善い行為というのが大事なのでは?」と思うようになります。
そのためには「天人(天界の生命体)」と同じような存在になるのが大事なのでは?で、究極的には「神(創造主)のような存在になることが必要なのでは?」と思うようになります。
当時は、そのように考えましてね。で、当時、直感したことは、まさに真我・宇宙意識・根源意識につらなる感覚でした。で、今になっていえますが、まず、こうした感覚、感性から始めるのが望ましかったりします。
善行に取り組んだが・・・
それで「善い行為」に取り組んでみたのですが、どうにもこうにもギクシャクしてしまいます。不自然なんですね。
そもそも「善い行為って何なんだ?」と疑問だらけなわけです。わかりません。さらに「善い行いよりも、悪い行いのほうが多いのでは?!」と愕然と気づいて、ショックを受けます。
善行って何なのかわからないだけでなく、できないじゃん!
さらに、もっと掘り下げると「善い行為をするためには、『自分の心、本心、動機』が大事なんじゃないの?」ということに気づきます。
自己観察をはじめる
そこで自分の心を「見つめる・観察する」というのを始めました。自分の本心・本音が善い悪いかはなんとなくわかります。で、これに力を入れることになりました。
これは今でいう「観察瞑想」「自己観察」です。これを誰から言われるまでもなく、自分で思いついて始めるようなります。
そうして、
◆善・徳とは何か?
◆慈悲とはどういうものか?
◆神・創造主とは何か?
◆解脱・悟りとは?
◆真の幸福とは何か?
がテーマになって、これらを考察し探求し続けるようになります。
自分の心を深く観察。
動機を常に見つめ続ける。
自己観察・内観を行う。
自己を律し奉仕を心がける。
こうしたことを始めます。
苦しみながら・暗中模索・試行錯誤を繰り返す
と、まあ、こうして書くと、なんかすごそうに思うかもしれませんが、文字で表していますので、ザックリした一面だけが浮かび上がるだけでして。
実際はしっちゃかめっちゃかで、泥臭く、苦しみもがき迷いながら、傷だらけになりながら模索していたというのが本当のところです。とにかく試行錯誤の連続です。トライ&エラーの繰り返し。一言でいって苦しい。みじめな気持ちにもなる「つらい」修行です。
当時は、善行の本当の意味がわかりませんでした。なので形(形式)としての善行になっていました。作った言動でした。
そのため不自然になってしまって、人から小馬鹿にされたことも数知れず。善いことをしようとして、かえってギクシャクしてしまう。人から気味悪がられる。
「なんでこうなるんだ?」「どうすればいいんだ!」と思い悩みますが、当時は、明快な答えはわかりません。とにかく実際に行って試していくしかありません。そのため精神的な生傷が絶えず、つらい思いをしながら悩むようにもなったものでした。
それと自己観察といっても、その動機なりの心が、本当に善いのかどうかを考え始めるとわからなくなります。深く考えれば考えるほどわからなくなる。なんだ、なんだ・・・。
今でこそ、当時の自分がどういう状態だったのか、またどこに陥っているのかが明瞭にわかります。
しかし当時はわからず、ただただ正しい歩みを探り求め、もがき苦しみます。頭の中もゴチャゴチャとしてきて、なにがなんだかわからなくなることも。
思春期という時期も重なっていたと思います。実生活で悩むことに加えて、精神的な修行でも苦しみ悩むようになり、深刻な悩みに陥っていくようになります。
それでも、真っ暗な海に向かって、小舟一艘でこぎ始めるかのような面持ちで、暗中模索をしながら始めていきました。
内側から湧いてくる強烈な求道の気持ちが吹き出し、誰にも言うことなく、もがきながらも一人手探りをしながら修行を始めていったものでした。
18才19才:本格的に修行に取り組む
18才~19才からは腰を据えて実践するようになります。当時は、鬼のようにストイックだったものです。
しかし我流の「自己観察」であったため、自分の欠点や否定的な面ばかりに注意が向いてしまい、自己嫌悪、自己否定感が非常に強くなり、うつ病のようになってしまいました。
勝手に苦しみや悩みが湧いてくることもある上、じーっと「考える」ことも多かったため、悶々とするようにもなります。
今だからわかりますが、観察瞑想の落とし穴に、おもいっきりハマってしまったわけですね。やってはいけない自己観察に陥ってしまいました。
けれども心の底からは強烈な求道心の炎が燃えるようにわきおこり、苦しくても、わからなくても、手探りをしながらでも知りたい、答えを見つけようと必死だったものです。
20才:転機を迎える
やがて自分を追い込むやり方自体が「よくない」、ストイックに行うこと自体が「マズい」ことに気づきます。やはり自分がおかしくなっていきますので、その異変に否応がなく気づきます。
で、なんとか自分を立ち直らせようをしますが、気力もヤル気も枯れてしまっていて、うつ病のようになり意欲が出てきません。大変な事態です。
それでも、自分に鞭を打ってでも「ナントカしないと」という焦燥感に駆られます。
ベン・スィートランド「自己を活かす」
そんな中、ベン・スィートランド「自己を活かす」という本を知ります。
この書が転機となったものです。
この書では、創造主(宇宙の根源的な神)を感じることが大切で、ポジティブ・シンキングは創造主からもたらされるものとして説いています。
これが目から鱗といいますか、希望と光を感じさせるきっかけになったものでした。
この本は、創造主(宇宙根源神)からもたらされる創造的なエネルギーで「人生に成功し幸福になること」を指南する実践書(セルフヘルプブックス:成功術)だったわけです。
今でこそ「引き寄せの法則」「成功法則」系の著書はあふれるように多く出ています。しかし当時は数が少なく、初めて「引き寄せの法則」「成功法則」を知り、また「積極思考」「ポジティブ・シンキング」を知ったものでした。この書は大いに転機となりました。
肯定的な見方の大切さを心底思い知ります。また一連の失敗により、自己をいたずらに否定し嫌悪する「有り様」「姿勢」そのものがマズいことを体感的に学びます。
そうして、これ以後、いわゆるマイナス思考・ネガティブな有り様に注意を払うようになります。
ベン・スィートランド「自己を活かす」との出会いは本当に大きな転機となりました。今風に言えば「認知を適切にする」ということですね。
自己観察の視点
そうして、この後まもなく、視点の転換が起きます。意識モードのチェンジとでもいいましょうか、変化が起きます。
それは「自分を客観的に観る第三者の視点は、中立性+善性」ということ。自分を中立に観るといっても、どこか虚無的、悲観的、否定的なニュアンスがある。しかし、これではよくない。無意識のうちに、自分をネガティブに誘ってしまう。
日頃の観察視点そのものの背後に、明るさ・よろこび・光・希望といった美徳・善性があることが望ましい。で、これこそが創造主(宇宙根源神)のフィーリングなんだ!ということに気がつきます。
この感覚がわかったことで、それまで悲観的かつ否定的、虚無的だったカラーに変化が出てきます。中立的な視点からの第三の眼のような感じで自己の心を見守ることができるようになります。
今でこそ言語化ができますが、気づきに気づく「名色分離智」への開眼でした。自己の心を観察し続けていますと、こうした意識のモードチェンジ・シフトが起きます。で、これによって、善、徳、霊性というのがわかり始め、やがてより大きな意識、源泉への開眼に向かいます。
21才:秋山眞人さんの別の惑星訪問記をたまたま書店で見かける
このような暗中模索で自己の心を観察し見守っている中、21才の年の12月の末でした。確か12月29日だったと思います。市内の書店に立ち寄ったところ「UFO Contactee」というUFOや宇宙人に関する専門季刊誌が目に止まりました。

初めて目にする季刊誌で「こんなのがあるんだ」と思いながらも、「UFOかぁ、、、」と内心、小馬鹿にする気持ちでながめていました。
宇宙人やUFOに対しては否定することはなく「存在はしているだろう」とは思っていました。しかし深入りすることはなかったものです。というのも、精神性の向上や愛、神、善、悟りとはまったく関係のないものだと思っていたからです。
しかもグレイと言われる薄気味の悪い宇宙人情報があふれていて、人々の恐怖心を煽る風潮を感じていたからです。そのため、宇宙人やUFOに対しては「子どもだましの類」「取るに足らないもの」として眼中にまったく無かったものです。
けれどもなんとなく好奇心がわいて、何気に手にして読み始めてみました。パラパラとページをめくっていると、「私の別惑星訪問体験とアダムスキーの真実性 春川正一」という記事に、ふっと目が止まりました。
その記事は、秋山眞人さん(当時は春川正一さんというペンネーム)が著した「別の惑星へ行ってきた」という宇宙人に関するくわしい手記でした。
ちなみに、その記事は「UFO Contactee 95号」の32ページから掲載されていて、今ではネットでも読むことができます。
https://www.adamski.jp/gap-japan/ucon/ucon-095.html
秋山さんの手記は、カシオペア座の方向にある宇宙人達の世界を非常にくわしく描写しています。宇宙人達は、創造主を感じ、愛・人類愛にあふれ、善に生き、しかも高度な文明を形成し、理想的な世界を作っていると!
初めて知る驚天動地の内容と、それが作り話でないことを直感し、猛烈な衝撃を受け、初めて知る宇宙人達による高次の世界に大変驚いたものでした。
「これが本当の宇宙人なのか・・・!」
21才:人生を一変する見性体験(一瞥体験)
秋山さんの体験手記は、到底作り話には思えず、リアリティをもって差し迫ってくるものがありました。
「作り話しではない、真実だ!実体験だ!」
そんな確信が私の中にあふれ出てきて、地球には無い本当の宗教性が宇宙人の世界にあることがわかり、猛烈に感動しながら、深くうなずきながら読み進めていたものでした。
感激しながら読み進めている途中で、突然バーン!と、読んでいた季刊誌や周囲の光景が消え去り、自分もどこかへ消え去ってしまい、まさに空としか言いようのないスペースとなり、意識のモードが激変。
自分が消え去ってしまい、ただ「見ている」という宇宙そのものの意識になり、と同時に、怒濤のエネルギーとしての「神の愛」が猛然とあふれてきました。
少し時間が経ってから、ハっと我に返り、一体、今、何が起きたのか茫然としながらも、何か究極的なことがわかった、究極の真理真実がわかったという思いがわき上がったものです。
で、「やった!ついにわかった!わかったぞ!過去世から求め続けていたことがわかった!やった!すべて解決した!」という思いがわいてきて、言葉では言い表せない安堵感と絶対的な救済感があふれてきたものでした。
気がつけば、「UFO Contactee」を手にしながら涙していました。周囲の人から「変な人」と思われてはいけないと思って、再び、何事もなかったかのように季刊誌を読み進め、その後、絶対的な安心感と救われた思い、言葉に言い表せない高揚した気持ちで帰宅したものでした。
私はない&愛そのもの
この体験は、ずっと後になってから「見性体験」であることがわかったものです。目覚め体験、一瞥体験、見神体験ともいいますね。
これが突然、起きました。
この体験を言葉で説明するのは大変、難しいのですが、「自分は無い」「自分という意識そのものは無い」といういわゆる「無我の体験」ともいえます。
この肉体は自分ではなく、宇宙といいますか、すべての中でただ見ているという意識。見ているという意識だけともいえます。しかも「神の愛」としか言いようのな強い歓喜を伴いながらの愛のエネルギーの大爆発・拡大が起きたものです。
叡智と神の愛がともなった宇宙意識、高次意識、超意識と言うこともできます。宇宙の根源的な意識・神そのものになるかのような体験です。
この体験で、
・本当の自分を知る
・大いなる存在(創造主)を知る、創造主に会う
・宇宙意識、高次の意識への開眼
・神の愛を知る
・慈悲をはじめて理解する
・叡智に啓ける
・善悪、徳を直感的に理解
・本当の意味で善行・積徳を理解
・意識にいくつかの変容が起きる
・形而上の問題がほぼ全て解決する
ということが起きます。
16才から必死になって求めてきた形而上・宗教的な疑問が、ほぼ全て氷解し、人生を一変させる強烈な体験となりました。根本的なところから救われた気持ちになる言語を絶する安心感であり、その歓喜は、その後、残り続けるようになります。
慈悲・愛は、心底知りたいと願っていたことでした。この味わいがわかったことは極めてうれしかったものです。
体験のその後
この体験によっていくつかの性格的、能力的な変容も起きました。またこの体験を境にして、鬱々としたのが解消していくプロセスが始まるなど、いくつかの変化変容が起きました。
それと、この体験が起きてからは、日々の生活の中で、少し意識をしたり、感動的なことに遭遇すると、突然、愛(ハート)が爆発したり、愛があふれて高揚し至福にあふれることがしばしば起きるようになったものです。
特に人が心から喜ぶようなことをしたり、サポートをすると、その純粋な喜びが、私の愛やハートを刺激し増幅させることに気がついたものでした。
また意識の拡大を日常的に感じたり、意識の爆発体験が、時々、起きるようになりました。
こう書きますと、何かの精神的な病気に思われたり、妄想や作り話であるとか、あるいはオカルトや意味不明の類に思われやすいのですが、根本的なところから変容する体験でした。
まさに言語を絶する歓喜、至福をともなった体験でもあり、人生を一変する変容体験となったのですが、当時は、この体験がどういうことなのかわからなかったものでした。
説明困難
今ではどういう体験なのかを多面的かつ詳しく説明できます。キリスト教、仏教、スピリチュアル、その他にある類例を交えながらきちんとお話しすることができます。
しかし当時はどう説明してよいのかわかりませんでした。
それもそのはずで、UFOの雑誌を読んでいる途中で、自己が吹っ飛んだ・無くなったとか、宇宙意識を体現したとか、神の愛を体験したとか言えば、ほぼほぼ100%頭のオカシイ可哀想な人に思われるのがオチなことは容易に想像がつくわけです。
そもそも説明しようとしても、当時は説明のしようがありません。説明できる知識や観念もありません。
説明しようなら、しどろもどろになって「UFOガー」みたくなってしまい、周囲から「は?」「大丈夫?」「病気?」って思われるのは確定コースなわけですね。
てか、下手に言えば、そもそも人間関係がおかしくなったり、あるいは精神病院を紹介されるとか、かえってややこしくしてしまいます。
そういうことが予想されたため、家族にも誰にも言うこと無く、30年近く胸に秘めることになったものです。
それとこの体験は「どうも悟りとは違う感じがする」というのを感じていたというのもあったからです。当時、既に原始仏教にも触れていて、預流果は三結(有身見・疑惑・戒禁取)が根絶するとあったものの、この体験では根絶していない(残っている)のを感じていたからです。
当時は、自分に起きたことが一体どういうことだったのかが、自分でもよくわかっていませんでした。
けれども30年くらい経ってから、自分と同じような体験をしている人がいて、その体験を見性体験、覚醒体験、見神体験、真我体験、一瞥体験などなど、さまざまな言われ方をしていることがわかったものでした。
見性体験をした人の中には、頻繁に繰り返す人がいることや、非常に少ないのですが霊のお祓いやヒーリングができる人がいることもわかり、体験が起きた30年後に、さまざまなことがようやくわかるようになったものでした。
体験を定着させたい~悟後の修行
で、当時は、自分が体験したことをよりしっかりと定着させ、第二の天性になるまで身につけようと決意したものです。いわゆる「悟後の修行」です。
また自分が体験したことは一体どういう体験なのかの答え探しにも乗り出します。
そうして新たな修行人生がスタートしたものでした。
目覚め体験(見性体験・一瞥体験・覚醒体験)は何故起きるのか?
ちなみに、何故、こうした体験が起きたのかといえば、それは「心を観察し続けていたから」だと思っています。「自己観察」ですね。
心を観察し続けていると、覚醒体験が起きることは、クリシュナムルティも言っています。テーラワーダの瞑想も観察です。
しかも昔から似たような体験をした人もいます。それは、以下の著書をお読みになるとわかります。
さとりをひらくと人生はシンプルでラクになる/エックハルト・トール
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その他、多くの方が似たような体験をして、書にしたためています。これらとほとんど同じ体験が起きたということになります。
ちなみに自己観察で大切なことは、
- フラット(中立的)な視点から、心を見守ること
- その心が善なのか悪なのかを無意識的に感じる・峻別すること
- そのフラット(中立的)な視点こそが根源意識(真我)であること
になると思っています。
詳細はこちらにも書いています。
ハイヤーセルフ(真我)に気づく5つのポイント|一瞥体験・覚醒体験を招く実践
ジャーナリング瞑想とは?実体験に基づく「心を解放する書き方」と「ハイヤーセルフに至る」2つのやり方
利他行に励む
その後、紆余曲折を経ながら、様々なことを学び実践を続けます。20代、30代は密教の世界に身を置き、自分が体験したこと、時々起きる意識や愛の高揚を深め定着する修行に、新たに取り組みました。
中でもボランティア的な活動は心地よく、熱心に行いました。こうした行為は意識の高揚と拡大を助けます。だから古来、宗教では、利他の実践行を推奨しているんですね。
原始仏教では「四正勤」といい、ヨーガでは「カルマヨーガ」といっています。これらは高次意識の開眼と体現につながります。
無償の利他の実践行、ボランティア活動には精を出すようになりました。
その後、テーラワーダ仏教にシフトしてからの「瞑想会運営」も同じです。こうした活動は楽しく、心地よく、うれしさを感じます。
潜在意識の活用
あと潜在意識の活用には相当に入れ込みました。高次意識・宇宙意識を定着させるために、潜在意識の活用を長年試みました。
アファメーションやイメトレですね。瞑想でいえば集中瞑想です。一つのことをイメージして、それになりきる。
自分が感じている意識や愛を、より定着させ、深めるために、ボランティア的なことを行うと同時に、アファメーションやイメトレ、集中瞑想で強化して定着させようとします。
このやり方は、それなりの効果はあります。
しかし、いいところまで行くのですが、どこか心を抑え込むものを感じさせます。そのため、なかなかうまくゆきません。実のところ、潜在意識を活用するアプローチには重大な欠陥があります。このことに気づきます。
そのきっかけとなったのが「テーラワーダ仏教」との出会いです。転機にもなります。
40才:テーラワーダ仏教との出会いで激変
テーラワーダ仏教では「念(サティ)」「あるがまま」を強調します。「気づき」ですね。通俗的には「マインドフルネス」といわれています。
ボランティアや利他の実践、あるいは潜在意識の活用ではどうしても超えられなかった諸々や壁を、この「気づきの瞑想」「あるがまま」によって超えることができました。
「ゴエンカ氏」の瞑想合宿のすごさ
中でも「ゴエンカ氏」の瞑想合宿は衝撃的でした。劇的なことが起きました。
なんと心の傷、わだかまり、トラウマが、かなり氷解して、非常に清々しくなり、その変化は日頃一緒に生活をしている家族すらわかったほどでした。
非常にインパクトがあり、なおかつ心の様相を劇的に変えるテーラワーダ仏教に伝わる「観察瞑想」のすごさを如実に体験します。
このときの瞑想体験は、こちらの「私のゴエンカ氏瞑想合宿体験談~人生のターニングポイント」にくわしくしたためてあります。
ボディスキャン瞑想とは?やり方・効果・なぜ心が解放されるのか気功の原理から解説
潜在意識のワーク、何かになろうとするワークが抱える重大な問題
この体験がきっかけで、潜在意識を使うワークや「何かになろう」とするDo系のやり方や生き方に、重大な欠陥があることに気づきます。
いえいえ、薄々気づいていましたが、ゴエンカさんの瞑想合宿の体験で、これがハッキリしました。
結局、潜在意識のワークにしても、何かになろうとする姿勢は、自分の心に上書きをして、無理強いするのが本質なわけです。自分に対して、力ずくで「変えよう」とするわけです。スポ根精神ですね。矯正しようとする。
しかし、こうした力ずくで変えようとすると、心は悲鳴をあげてしまいます。で、これが新たなストレスとなって、心の底にモヤモヤとしたものを生み出してしまいます。精妙なシャドーといいますか抑圧です。
潜在意識のワークには、こうした知られざるデメリット、ネガティブさがあります。
こうしたモヤモヤしたのをずっと感じていましたが、代替なる方法論が分からなかったため、手を変え品を変え、あの手この手で、いろんなワークやテクニックを使っていましたが、「何かをする」という姿勢そのものに欠陥と問題があったわけです。
この手のやり方は、仕事や目標に対しては有効です。またカンフル剤のように瞬間的に心を切り替えるテクニックとしても有効です。
しかし継続的に使ったり、心を解放させる成長させることを目的にすると、問題が出てくるようになります。
テーラワーダ仏教の観察瞑想・あるがままのすごさ
しかしテーラワーダの瞑想は、何かになろうとしないで、そのまま・あるがまま、観察を基本としています。
この瞑想のすごいのは、そのように自然にしていると、心にある諸々(これをサンカーラといいます。不浄、未解決の心)が自然に浮上し、解消していくことです。
意志を使ってあれやこれやといじくり回すと、かって問題がこじれる。
そうでなくて、そのまんまにしておけば、多少時間はかかっても、自然に解消していく。
この発想。この姿勢。
攻めるのではなく、見守る。
このプロセスにおいては、サンカーラ(不浄)の浮上という現象に苦しめられることはありますが、しかしやがてスッキリとしていくようになります。
そうして、自己の内面にある輝きや徳性、善性が、自然に出てくるようになります。
こうした有り様は、潜在意識の活用や「何かになる」「目指す」といった姿勢とは、まったく味わいが異なります。ナチュラルな善さが感じられます。
テーラワーダ仏教の瞑想を広めたい
こうしたことがあって、それまで行っていた潜在意識の活用は控えて、「気づき」「あるがまま」を中心とした修行に変わりました。
それと「こんなに素晴らしいテーラワーダの瞑想は、もっと世の中に知られたほうがよい!」と思うようになります。
こう思うようになっている頃、ちょうどテーラワーダの比丘とご縁をいただいて、瞑想会開催のお話しをいただくようになります。もう小躍りする気持ちで、喜び勇んで瞑想会の開催を始めました。それが10年以上に及ぶ「お坊さんを招いた瞑想会」の運営です。
やわらかくやさしいテーラワーダ仏教
テーラワーダ仏教には、いくつかの瞑想の仕方がありますが、ほぼどれもが素晴らしく感じられて、大変魅了されたものです。
なんといっても、こう言っては申し訳ありませんが、日本の仏教とは違って、明るく、やわらかく、風通しもよく、きよらかな感じがあって、こうした感じが非常に肌にあったものです。
日々の瞑想は欠かさず、瞑想修行をゆるりと毎日行うようになります。
瞑想を続けていたところエネルギーが開眼
そんなテーラワーダ仏教の瞑想を続けているある日、エネルギーが開眼する体験がおきます。
この体験も言葉での説明は難しいのですが、いわゆるエネルギーの上昇が起きて、エネルギーが開くと同時に、エネルギーをともなった真我意識が四方八方に広がっていくといった体験です。
こうしたことが自然に起きました。これ以降、気・エネルギーが流れる感覚が生じています。
この感覚には、外部、特に天空からエネルギーが流れ込んでくる感覚があります。また全身がマッサージされているような心地よさと法悦のような喜びが渾然一体となった心地よさがあります。こうした体感がリアルにあります。
ちなみに、この体験は、見性体験(一瞥体験)と本質は同じであり、このエネルギー体験によって、各種の体験(覚醒体験など)がわかるようになったものです。
エネルギー体験は、その後も何回かありましたが、ここでは割愛します。
2015年:レナード・ジェイコブソンからのメッセージ
2015年に、覚者といわれているレナード・ジェイコブソンのリトリートに参加したときでした。レナードに深いプレゼンスとはどういう状態なのかを質問したところ、レナードは深いプレゼンスに入り、その状態を説明されました。
説明の途中で突然、私へのメッセージというかアドバイスをし始めます。それは、
あなたは準備ができている
あなたは受け取る用意ができている
あなたには奇跡が訪れるチャンスがある、可能性がある
というメッセージでした。大事なことと思い、すかさずメモを取りましたが、深いプレゼンスに入ったレナードの直感から出た言葉でした。レナードの言葉を受けて、それまでの自分自身の歩みが適切であり、将来に関する示唆もあって、レナードの言葉によって確信が得られたというのがあります。
レナードからのメッセージが契機となって、今までの体験や経験、学びを踏まえた独自路線を歩み始めることになります。
2018年:天啓気療を初めて受ける~真我系ヒーリングの発見
2018年に、初めて天啓気療を受けました。実のところ天啓気療そのものは、2013年から知っていて、難病などでお困りの方にはご紹介していました。
ですが、紹介している手前上、自分も受けてみようと思い、2018年に初めて受けました。
天啓気療を初めて受けたときに、「これは病気改善だけでなく、瞑想にも役に立つ!」と直観し、その後、瞑想実践者に天啓気療をおすすめすることになります。
2026年の現在までに40名以上に紹介し、受けていただいています。延べ人数でいいますと、軽く100名は超えています。天啓気療が瞑想に役に立つという直観と確信は、私自身が天啓気療を受けたときの体験があるからですね。
ちなみに天啓気療を受けて、心が軽くなる、とらわれが軽減する、サンカーラが浄化されるといったことを実際に体験体感しています。実利的なことをいいますと、腐れ縁のようになっていたある人間関係がスパっと切れて解消されたというのもあります。
天啓気療のエネルギーは非常に強く、3回目に受けたときはエネルギーの強さを感じて、半年くらいエネルギー酔が続いたものでした。すさまじい真我エネルギーに、ただ圧倒するばかりです。
このようなヒーリングが現実にできる人がいることにも驚きですが、天啓気療は紛れもなく、現代の禊(みそぎ)であり洗礼(せんれい)といえます。深い精神的な修行や実践を行う者は、できるだけ多く受けたほうが望ましいですね。10回受けることをおすすめいたします。
2019年:霊のお祓い・供養ができる?
また2019年に、気功家であり霊能者である方が、私の気をみて「上空からエネルギーが流れ込んでいる」と見抜いて、「霊のお祓いや供養ができる」と言いまして。
この手の話しは、第三者には理解不能になりやすく、オカルトとか心の病などと勘違いされやすいため、話しがしにくい性質です。
けれどもこの方の指摘を聞いて、「ああ、やはりそうなんだなあ」と納得し、わかる人にはわかることを知り、こうした話しをする勇気も出てきたものです。
ちなみに霊のお祓いにピンと来て、試しにヒーリングをしたところ、本当にできまして。ヒーリングを受けた相手はエネルギーを強く感じたり、体が動く自発功が起きることもあります。
エネルギーの開眼は慈悲がポイント
こうしたエネルギー体験が自然に起きたのは、手前味噌ながら、慈しみの実践・利他の実践を、長年続けていたことが最も大きいと感じています。
事実、自然にエネルギーが開花した人の多くが、道徳的だったり、利他を重んじているなどの傾向があります。
こうしたエネルギーの開眼は決して偶然ではなく、慈しみの心や行為は、瞑想のみならず、エネルギー開眼に欠かせない必須の条件ではないかと思います。
それ故に、仏教でも戒律を定め、また慈しみの実践を重視しているんだと思います。このことは体験的に、そう思います。
キリスト教の「聖霊体験」もハートのエネルギー体験
ちなみにキリスト教の信仰では「聖霊体験」と言われる、愛の爆発体験もありますが、これもエネルギーですね。
「聖霊」とはエネルギーのこと。「父・子・聖霊」は3つとも同じといいますが(三位一体)、これの本当の意味は、父(創造主)と子(イエス)もエネルギーであり、聖霊とは、そのエネルギーそのものを示している教理的説明なんだと思います。
聖霊体験とは何か?【まとめ】証(しるし)・体験者の記録・起きるためのポイントまでわかりやすく解説
慈悲が能力を育む
能力を開発する、高める秘訣は「慈悲」。慈悲の実践のプロセスで、不思議な能力などが生じてくるんだと思います。
慈悲と能力との間には深いつながりがあります。このことはほとんど知られていません。また慈悲と瞑想の深まり、奉仕・ボランティアも関係があります。
もっといえば「瞑想の極意」とは、慈悲、善、徳になります。故に、チャクラやクンダリーニといった能力開発系には疑問を感じています。違うのではないかと。
これらについての私の体験と、体験から導かれる所見は、こちらにくわしく書いてあります。ぜひお読みいただければと思います。
井上義衍老師系の禅にシフト
他にも、瞑想体験、エネルギー体験などいろいろとありますが、煩雑になりますので割愛しますが、その後、2020年には、禅にシフトしています。悟るためには、井上義衍系の坐禅が良いと思うようになったからです。
2026年:ハートフルな路線に戻る
けれども2026年2月から、再びハートフルな路線に戻りました。このことはこちらに書きましたので割愛しますが、やはり慈しみ、愛が豊かな文脈で修行実戦をしていく必要性を感じます。
禅は学びの多いところはあります。けれども長くいるところではないと思います。坐禅の要領、要諦がわかれば(不思量底を思量して理解できれば、後は非思量で過ごす)ハートフルな路線に立ち戻ったほうがいいと思います。
で、非思量とは行捨智と同じだったりします。つまり「あるがまま」です。
禅は、観念的な言葉で説明することが多く、瞑想が進んだ方や、何らかの体験をして非言語領域に開けた方には、かえって迷いの道になるおそれがあります。説明がマインドだからです。坐禅の要諦がわかれば、あとは非思量で過ごす、つまり行捨智で実践することになると思います。
まとめ:見性体験⇒悟後の修行⇒定着の文脈で大切なことは?
見性体験をして、真理真実がわかり、空間的かつ無我的な意識が生じ、神の愛・宇宙的な愛がわかり、身につき始めても、それをしっかりと体得体現するためには、悟後の修行が欠かせなくなると感じています。
とはいえ、見性体験は、悟りや解脱そのものはありません。本質は「真我体験」です。真我体験を深めるということは、梵我一如のことになります。
悟後の修行
で、悟後の修行といわれている修行とは、真我体験を深め、梵我一如へと向かうことになりますが、その秘訣は、
- あるがまま・ありのまま系の瞑想や坐禅を実践
- 慈しみ・利他の実践
- 祈り・ハート瞑想
- 善の本質を理解し、善を習得し、自分の波動とする
- 真我系ヒーリングを受ける
ということです。
経験上、これらに集約・収斂できると感じています。
見性体験・一瞥体験にいたらせる実践
さらにいえば、見性体験や一瞥体験、プレゼンスをうながすためには、上記の実践に加えて
- 自分の心が善なのか悪なのかを無意識的に感じ取り続ける(これが自己観察)
- 見性した人の話しを聞いたり本などを読み、可能であるなら瞑想会に参加する
が欠かせなくなることを経験的に感じています。
まとめ
で、これらを実践実習にまとめたのが、おすすめしている「4つの実践」になります。
本当に自分が変わる・瞑想「4つの実践」とは?
4つの実践は、見性体験、覚醒体験、見神体験、プレゼンス体験などをした方だけでなく、瞑想が初めての方にも効果があり役に立つ実践実習となっています。
学びになったお世話になった方々
それとお世話になった・なっている方々・教えを挙げますと、次の通りです。
- 自己観察・・・10代のときに独力の修行で見性体験(一瞥体験)
- 潜在意識の活用・・・ベン・スィートランド、マーフィーほか
- 密教・・・本山博先生
- 宇宙人・UFO・・・秋山眞人氏、Jアダムスキーほか
- テーラワーダ仏教・・・ゴエンカ氏、パオ森林僧院(Kセヤドー)、
- アドヴァイタ・・・エックハルト・トール、レナード・ジェイコブソン、アジャ・シャンティ、フーマン、アジズ、天野キヨタカさんほか
- ヨーガ・・・ギャーナヨーガ、バクティヨーガ、カルマヨーガ、ハタヨガ
- ヒーリング・・・ダスカロス、天啓気療(北沢勇人先生)、セッション(Sさん)
- 気功・・・中健次郎先生、飛沢誠一先生
- キリスト教・・・テラペウタイ、グノーシス主義、神秘主義、ルター、イグナチオ・ロヨラ
- 禅・・・井上義衍老師とその系譜のご老師方、阿蔵葺心老師、松本自證師
- スピリチュアル・・・アンドリュー・ジャクソン・デイヴィス、リチャード・モーリス バック
これらの方々や教えは学びとなり影響も受けています。
なおここには記載していない反面教師となった人や黒歴史もあります。差し障りがありますので、実名等は割愛します。
実践を重んじる
そんなわけですが、「いまここ」「あるがまま」を軸とする実践を重視しながらも、世界中の宗教やスピリチュアルなどを深く学ぶ両輪タイプといいましょうか、そんな有り様です。
言葉や観念は、自分の体験を表現する手段、道具という感覚です。
そして「ハート」「慈しみ」を大事にしています。
ハートのある文脈で語ることをモットーとしています。
ハートを欠いた実践は、超能力や霊能力志向に陥り、天狗界(てんぐかい)となってしまうと感じています。霊性が乏しく、人間性も貶める文脈になると感じています。
大いなる存在、天界、天人、神々を感じながらの生粋のスピリチュアリスト。
輪廻転生は、最初に書いた通りで、幼少期の頃から実在していることを実感。
「わかることはわかる、わからないことはわからない」がはっきりしています。
精神修養系の流れにある悟り・解脱派です。
繰り返しになりますが、また最初に書いた通りで、
いわゆる「スピリチュアル」や
ふわふわし過ぎたスピリチュアル、
妄想系は苦手です。
また能力開発系もご遠慮です。
リアルな現実を踏まえた
「現実派スピリチュアリスト」。
「浮き世離れしない悟り・解脱派」
こういう感じですね^^
南国のような雰囲気が好み。
ボサノバやアンビエント好き。
そんなゆるっとした感じで、
天然自然なよろこびに
あふれているのがいいですね。
ちなみに2021年に1年間を通して行った「原始仏教講座」は、こうした体験を踏まえた講座だったりします。https://healingmusic.hamazo.tv/e8982701.html
連絡先はこちら。
https://www.yurusanga.com/mail/




