「瞑想とは何か?」と聞かれたとき、多くの方は「心を落ち着けるもの」「リラックスするもの」といったイメージを持つかもしれません。
それも瞑想ですが、ここで紹介する瞑想とは、心を解放して自由になること。そのためには「あるがまま」と「気づき」によって、本来の自分に立ち戻っていく実践をいいます。
本記事では、初心者の方にもわかるように、意味・効果・やり方・本質まで体系的に解説していきます。
なお、実際に瞑想を始めてみたい方は瞑想のやり方を、全体像や心得を知りたい方は瞑想入門もあわせてご覧ください。
瞑想とは何か
瞑想とは、ズバリ、心を解放して自由になること、です。
この実践の中核となるのが、「あるがままに、やさしく気づく」という瞑想です。
このプロセスにおいてさまざまな効果効能が出てきます。やり方もいくつかあります。
ここでは、瞑想が初めての方向けに「瞑想とは?」についてご説明いたします。
初めての方にとって瞑想とは「認知を善くすること」といえます。これが心を解放し自由になることになっていきます。
また瞑想は「何をするのか」ではなく、「どのような在り方なのか」という視点で理解することは重要です。
瞑想の本質的な意味

瞑想とは何かと聞かれると、多くの人は「リラックス」「集中」「無になること」といったイメージを持つかもしれません。
しかし、それらは瞑想の一部の側面にすぎません。
瞑想とは何か?についてはいくつかのとらえ方がありますが、瞑想とは、心を解放して自由になることです。
この意味は実践者のレベルに応じて違ってきますが、
- 心を解放する
・シャドー、抑圧、傷痕、トラウマ、インナーチャイルドの解放、
・邪な欲や激しい怒りの解放、執着の解放、
・固定概念や無自覚となっている束縛からの解放 - 自由になること
・生き生きとしてくる、本来の自分が自然に顕現する、
・ほっこり・あたたかさ・ゆるっとした天然の善性が生じる、
・霊性に基づく感性が出てくる、
・本当の自分(真我)、高次意識、悟り・解脱
このように多層的になっていて、それぞれの人に応じて「心の解放と自由」となってまいると思います。
瞑想の具体的な実践
その具体的な実践は「今この瞬間に起きていることに気づくこと」になります。
呼吸、身体の感覚、音、思考、感情など、あらゆる現象に対して、評価や判断を加えず、そのまま気づく。このシンプルな行為が瞑想の核になります。
重要なのは、「何か特別な状態になること」ではないという点なんですね。
むしろ、すでに起きている現実に対して、余計な解釈や抵抗をせず、そのまま向き合うこと。それが瞑想の本質です。
その意味では、瞑想とは新しいものを得る行為ではなく、すでにあるものに気づくプロセスとも言えます。
では実際にどのように行えばよいのかは、瞑想のやり方|初心者でもできる基本手順とコツで詳しく解説しています。
瞑想は「集中」とは違う
瞑想を「集中」と同じものと考えている人も多いですが、この二つは似ているようで本質的に異なります。
集中とは、特定の対象に意識を固定する働きです。たとえば勉強や仕事のときに、一点に意識を集める状態がそれにあたります。
一方で瞑想は、意識をしっかりと固定するのではなく、むしろやわらかく対象に意識を向けます。ゆるくなります。
呼吸に気づいていたとしても、音が聞こえれば音に気づく、が、そのまま。思考が出てきたら思考に気づく、が、そのまま。そのように、対象を一つに定めても無理に固定しないで「あるがまま」としていきます。
「何かにグっと集中する」瞑想もありますが、ここでいう瞑想とは、むしろ、起きていること全体に対して開かれている状態なんですね。
この違いを理解するだけでも、瞑想の質は大きく変わります。
瞑想は「何かを達成する行為」ではない
瞑想を始めると、多くの人が無意識のうちに「何かを達成しよう」とします。
- もっと集中しなければいけない
- 雑念をなくさなければいけない
- 無の状態に入らなければいけない
- 深い状態を目指さなければいけない
しかし、これらはすべて思考によるコントロールなんですね。
瞑想とは、その逆です。
何かを作ることではなく、今起きていることに気づくこと。
うまくいってもいいし、うまくいかなくてもいい。雑念があってもいいし、落ち着かなくてもいい。
そのままを許すことによって、かえって自然な静けさが現れてきます。
瞑想とは「努力によって到達するもの」ではなく、「余分な力が抜けたときに現れるもの」なんですね。
瞑想の本質|あるがままと気づき
瞑想の核心にあるのが、「あるがまま」と「気づき」という2つの要素です。
この2つが揃ってはじめて、瞑想は本来の意味を持ちます。つまり、心を解放して自由になることの実現ですね。
瞑想の「あるがまま」とは何か
瞑想を理解するうえで欠かせないキーワードが「あるがまま」です。
あるがままとは、現実(今起きていること)をそのまま受け取ることを意味します。
私たちは普段、出来事に対して無意識に意味づけをしています。
- これは良いことだ
- これは嫌なことだ
- こうあるべきだ
- これは間違っている
しかし、これらはすべて思考による解釈です。
同じ出来事でも人によって感じ方が違うことからもわかるように、現実そのものではなく、頭の中の判断にすぎません。
あるがままとは「解釈を手放すこと」
瞑想では、この解釈をいったん脇に置きます。
そして「ただ起きていること」とします。
不安や感情も、評価せず、あるがまま。これが重要です。
嫌な感情があれば「嫌な感情がある」として、あるがまま。
それ以上でもそれ以下でもありません。
この姿勢によって、心の抵抗が減り、自然な落ち着きが生まれてきます。
「あるがまま」とは何かを、もう少し丁寧に理解したい方は、あるがまま瞑想の記事もご覧ください。
瞑想の「気づき」とは何か
気づきとは、対象をそのまま感じる働きです。
ここで重要なのは、「考えること」と「気づくこと」は違うという点です。
考えるとは、言葉や概念を使って理解しようとすることです。
一方で気づきは、言葉を使わずに直接感じることです。
呼吸や身体感覚、思考など、起きていることにそのまま気づく(感じる)ことが重要なんですね。
思考をコントロールするのではなく、その存在に気づくことが重要。
そこに評価や意味づけを加えないことが重要。
「うまくできていない」「集中できていない」という判断も思考です。
それにナチュラルに気づく(感じる)ことが瞑想です。
なお、この「気づき」は単に頭で理解することではなく、感じる力として深まっていくものです。詳しくは瞑想の極意「気づき」とは何かで解説しています。
あるがままと気づきが揃うと何が起きるか
この二つが揃うことで、内面には大きな変化が起きます。
まず、思考や感情とのベッタリ感が減ります(距離が生まれます)。
これまで自分だと思っていた思考や感情を、「一つの現象」として見ることができるようになります。
すると、それに巻き込まれることが減り、自然と心が落ち着いてきます。
また、刺激をともなった過剰な反応が減ることで、余裕が生まれます。
すぐに怒る、不安になる、焦るといった反応が弱まり、より落ち着いて物事に対応できるようになります。
さらに、自分自身への理解も深まります。
こうした効果が生じるのは、どのような思考や感情が自分の中にあるのかを客観的に見ることができるためです。
で、これらの変化は努力して作るものではなく、気づきが深まることで自然に現れてきます。
これが、心を解放して自由になることの一つです。ここで紹介している「瞑想」ですね。
瞑想の種類(概要)
瞑想にはさまざまな方法がありますが、意識の向け方によって大きくいくつかに分類できます。
- 集中する瞑想(サマタ系)
- 観察する瞑想(ヴィパッサナー系)
- 身体感覚の瞑想
- 感情・イメージの瞑想
- エネルギー系の瞑想
- 伝統的な瞑想(禅など)
- 日常の中の瞑想
方法は違っても、最終的に行っていることが共通している瞑想もあります。
それが「今ここで起きていることに気づくこと」です。
瞑想の種類についてより詳しく知りたい方は、瞑想の種類で具体的に整理しています。
瞑想は「無になること」ではない|思考との関係
瞑想を行ううえで、多くの人が悩むのが「思考」との関係です。
思考を止めるべきなのか、それともそのままでよいのか。
ここでは思考との関係を整理し、瞑想の理解を深めていきます。
ちなみに、瞑想の文脈でいう「思考」とは、はっきりとした考え(人によっては音声をともなう考え)を指します。「雑念」とは、漠然とした妄想(音声がともなわないモヤモヤとした想念)をいいます。
ここでは思考と雑念を一緒にして「思考」として説明していきます。
思考は悪いものではない
瞑想を始めると、思考を「邪魔なもの」と感じてしまうことがありますよね。
しかし、思考そのものは悪いものではないんですね。
思考は、計画を立てたり、問題を解決したりするために必要な機能だからです。
問題なのは、思考に無意識に支配されてしまう(引っ張られてしまう)ことだったりします。
瞑想では、思考を排除するのではなく、まずその働きを正しく理解することが大切です。
思考に巻き込まれる状態とは
思考に巻き込まれる状態とは、思考が現実のように感じられることをいいます。
たとえば、過去の出来事を思い出して落ち込んだり、未来の不安を想像して不安になったりすること。
このとき、思考が現実のように感じられています。
しかし実際には、それは「頭の中で起きている現象」にすぎません。記憶や五感からの情報によって作られる物語(思考)なんですね。
瞑想では、まずその仕組みを理解します。
すると、思考に対する見方が大きく変わります。
ちなみにこの仕組みを原始仏教では「十二因縁」といっています。
思考は出て当たり前
思考が出ること自体は問題ではないんですね。
人間の脳は、常に何かを考え続け、勝手に思考や雑念が出るようにできているからです。
思考が浮かぶことは自然な現象。自然に止まることはあっても「止めるべきもの」ではないんですね。
問題なのは、思考そのものではなく、それに無意識に巻き込まれてしまうことです。
瞑想では、思考をなくすことではなく、思考があることに気づく(気づいたら)、あるがまま・いまこことするのが大切なんですね。
ですので、「思考がある=失敗」ではなく、むしろ「思考に気づけた=成功」とも言えるんですね。
瞑想中に思考が出ることについて不安がある方は、瞑想では思考・考えが出ることは良くないのか?も参考になります。
思考を消そうとすると逆に増える理由
「思考を止めよう」「雑念をなくそう」とすると、かえって思考は強くなります。
これは心理的な抵抗が働くためです。
たとえば「絶対に考えないようにしよう」「気にしないようにしよう」と思うと、その対象がかえって気になってしまう経験は誰にでもありますよね。
これは「抑えようとするほど意識が向く」という性質によるものです。
瞑想でも同じことが起きます。
思考を排除しようとするほど、思考は増え、瞑想は難しくなります。
そこで、瞑想では「排除(戦う)」ではなく「受容(受け入れる)」を選びます。
思考があれば、「思考がある」とやさしく気づくだけでいいんですね。
それ以上何もする必要はありません。
「無」ではなく「距離」が生まれる
瞑想が深まると、思考が小さくなり、止まることはありますが、それは自然に起きることであって、最初から狙うとうまくゆきません。
実際の多くの瞑想では、思考が消えることはなく、勝手に生じては変化していきます。
で、ここでおすすめしている瞑想では、思考を消したり、止めたりすることではなく、思考をあるがままにしておける瞑想、思考が気にならなくなる瞑想です。
で、これが、「思考との距離」と呼ばれる認知です。
これまでは思考と一体化していたものが、ベッタリ感が薄くなって「思考がある」と見ることができるようになります。
たとえば不安があっても、「不安がある」と気づける(そのままにしておける)ようになります。
すると、不安に飲み込まれることが減っていきます。無くなりはしませんが、減っていきます。
で、この認知の変化は非常に大きく、人生の質そのものを変えていきます。
思考がなくなるわけではなく、思考との距離ができた状態。
説明だけを読むと、なーんだと思うかもしれませんが、実際に体験すると大きな変化であることを実感します。
瞑想の目的は「無になること」ではなく、思考に支配されにくい状態になることとも言えるんですね。で、この変化こそが、瞑想の大きな効果の一つです。
瞑想はリラックスでもあるが、それだけではない
瞑想によってリラックスが起きることはよく知られています。
しかし、リラックスだけでは不十分だったりします。
ここではリラックスとの関係を正しく理解していきます。
リラックスは瞑想の土台
瞑想ではリラックス・くつろぎはとても大切です。
ヨーガでは床に寝て仰向けになる「シャバ・アーサナ(死体のポーズ)」が究極のポースと言われているほどです。
瞑想でも、力みが少なくゆったりとして、心身がくつろいだ状態を基本としています。
リラックスは大事な土台であり、やわらかさ、ゆるさ、寛容といった美徳を生み出す源にもなります。
ただ楽になるというだけではなく、心の反応そのものが少しずつ穏やかになっていく。そこにも、リラックスの大切さがあります。
リラックスだけでは瞑想にならない
ただし、瞑想はリラックスだけで成り立つわけではありません。
瞑想をすると、心や身体がゆるみ、呼吸が深くなり、思考も穏やかになることがあります。
そのため、「瞑想=リラックス」と捉えられることもあります。
しかし、これはあくまで瞑想の一部なんですね。
瞑想の本質はリラックスに加えて、ナチュラルな気づきをともなった有り様にあるんですね。
つまり、リラックスと気づきの両方がそろってはじめて、ここでいう瞑想になります。
瞑想で起きる深いリラックスを、より本質的に捉えるには、瞑想とは恩寵・他力によるものという視点も重要です。
リラックスは瞑想を安全にする
そもそもくつろがない瞑想はリスクがあります。
リラックスしませんと、力んで瞑想しがちです。頑張って瞑想をしてしまう。
それが続くと、「瞑想病(偏差)」といった心身の変調を来す場合もあります。
リラックスは、さまざまな観点から欠かせません。
瞑想中の「沈み込み」は「リラックス」はない
リラックスに似た体感に「心の沈み込み」があります。
これはリラックスではありません。
仏教では五蓋(ごがい)といって、瞑想への妨げになる心に「心の沈み込み(惛沈:こんじん)」をあげています。
心が不活発になる状態ですが、惛沈は眠気(睡眠)につながります。
本当の意味でのリラックスは、瞑想を続ける中でわかってきます。
瞑想が深まると現れる本質的な状態
瞑想が深まると、リラックスによる効果も目立ってくるようになります。
- 理由のない安心感
- ただ静かである感覚
- 広がりや軽さ
- 満ちている感覚
- 自然なやさしさ
これらは「作るもの」ではなく、もともと備わっていたもの(良心、善性:サットバ、霊性)が現れてきた状態です。
で、この有り様で「気づく」のが望ましいんですね。
瞑想とは、何かを加える行為ではなく、余分なものが落ちていく過程です。
その結果として、本来の静けさや安心感が自然に現れてきます。
瞑想の効果とは何か
瞑想にはさまざまな効果があると言われています。
リラックスやストレス軽減といった効果のほかに、瞑想特有の効果があります。
それは内面の変化を通じて、考え方や感じ方、つまり認知そのものが変わっていくことなんですね。
つまり、認知が変わることとは、心を解放して自由になることです。
ここでは具体的な変化を整理してまいります。
瞑想によって起こる変化については、瞑想の効果とは?心と体に起こる変化で具体的にまとめています。
思考に振り回されなくなる
瞑想の効果としてまず大きいのが、「思考に振り回されなくなる」という変化です。
私たちは普段、頭の中に浮かぶ思考をそのまま現実のように感じています。
過去の出来事を思い出して後悔したり、未来のことを考えて不安になったりするのも、そのためなんですね。
しかし瞑想を続けていくと、「思考は現実ではなく、一つの現象である」と体感的に理解できるようになります。
すると、同じ思考が浮かんでも、それに引き込まれることが減っていきます。
不安な考えがあっても、「不安な思考がある」と一歩引いて見ることができるようになります。
この変化は文字による説明ではわかりにくいのですが、心理的なメリットが大きく、心の安定感がとても高まります。
思考や空想、妄想に振り回されにくくなるという点は、観察瞑想(気づきの瞑想)の意味と効果でも詳しく触れています。
感情の反応が穏やかになる
瞑想を続けることで、感情との関係も変化します。
怒りや不安、焦りといった感情が出ること自体は変わりませんが、それに対する反応が変わってきます。
これまでは感情が出るとすぐに反応していたものが、「怒りがある」「不安がある」と気づくことで、一呼吸おけるようになるんですね。
自然な余裕が生まれるため、衝動的な行動が減り、より落ち着いた対応ができるようになります。
結果として、人間関係のトラブルやストレスも減っていきます。
ストレスの感じ方そのものが変わる
瞑想によってストレスがなくなるわけではありません。
しかし、ストレスの感じ方は大きく変わります。
同じ出来事が起きても、それに対する反応が変わるため、ストレスとして感じにくくなるんですね。
たとえば以前なら強くイライラしていた場面でも、「そういう状況が起きている」と冷静に受け取れるようになります。
これは「我慢している」のではなく、反応が静かになっている状態だったりします。
この変化によって、日常生活は大きく楽になります。
集中力・注意力が自然に高まる
瞑想は集中そのものではありませんが、結果として集中力は高まります。
これは、思考に引き込まれる時間が減るためです。
余計な考えにエネルギーを使わなくなることで、必要なことに意識を向けやすくなります。
「いまやっていること」に気づく力が育つため、作業への没入感も高まります。
ただしこれは無理に集中しようとした結果ではなく、自然に起きる変化です。
瞑想は人生観や人間性にも影響する
瞑想は単なるリラクゼーションではなく、人間性や価値観にも影響を与えます。
内面の変化は、対人関係や日常の在り方にも現れてきます。
ここでは、その変化の特徴について見ていきます。
やさしさや慈しみが自然に生まれる
瞑想を続けていると、やさしさや慈しみといった感覚が自然に現れてきます。
これは意識的に「優しくしよう」と努力した結果ではないんですね。
むしろ、内面の緊張や防御がゆるむことで、本来備わっていたものが現れてくる感覚に近いものです。
自分に対しても、他人に対しても、必要以上に厳しくならなくなります。
結果として、人との関係もより自然で穏やかなものになっていきます。
瞑想によって育っていくやさしさや慈しみについては、無条件の愛というテーマとも深く関係しています。
比較や競争から少しずつ離れていく
私たちは普段、他人と自分を比較したり、評価を気にしたりしながら生きています。
しかし瞑想を続けることで、こうした比較や保身の思考の働きに気づけるようになります。
すると、それに振り回されることが減っていきます。
「もっと上に行かなければ」「評価されなければ」という焦りが弱まり、良い意味で自分のペースで生きる感覚が強くなります。
これは怠惰になるということではなく、より自然な在り方に近づく変化です。
自分自身への理解が深まる
瞑想によって、自分の内面を観察する力が高まります。
どのようなときに不安になるのか、どのような思考の癖があるのか。
それらを客観的に見ることができるようになります。
この理解は、単なる知識ではなく、実感としての理解です。
そのため、無理に変えようとしなくても、自然と変化が起きていきます。
自己観察の大切さ
このことは「自己観察」ともいって、瞑想でもっとも重要かつダイナミックな変化をもたらすといわれています。
現代覚者の一人であるクリシュナムルティは、自己観察によって高次意識(真我)がわかるといっています。
で、これは本当のことだったりします。このことは観察瞑想のやり方でもお話ししています。
瞑想は生き方そのものを変えていく
瞑想は一時的な効果ではなく、継続することで生き方そのものに良い影響を及ぼします。
考え方や行動の基盤が変わることで、人生全体の質も変化していきます。
これも、心が解放されて自由になることの現れですね。
ここではその具体的な変化を整理します。
「いまここ」を生きる感覚が強くなる
瞑想を続けることで、「いまこの瞬間」に意識が戻りやすくなります。
これまで過去や未来に向いていた意識が、現在へと戻ってくるようになります。
その結果、日常の一つひとつの体験がより鮮明に感じられるようになります。
食事、会話、仕事、すべてが以前よりも、その本質そのものを感じながらも鮮やかに味わえるようになります。
シンプルに生きられるようになる
瞑想を続けることで、余計な思考や欲求に気づけるようになります。
すると、それに振り回されることが減り、よりシンプルに生きられるようになります。
必要以上に悩んだり、無理をしたりすることが減り、本当に必要なものが見えてきます。
これは何かを我慢することではなく、自然とそうなっていく変化です。
安心感のベースが変わる
瞑想によって得られる最も大きな変化の一つが、「安心感の質の変化」です。
外側の条件に依存した安心ではなく、内側から自然に湧いてくる安心感が育っていきます。
これは「何かがあるから安心」ではなく、「ただ在ることへの安心」とも言えます。
この感覚があるとき、人生全体の安定感は大きく変わります。
瞑想のやり方・実践について
瞑想の実践では、まず全体像を踏まえることが大切です。その全体像とは「瞑想とは、心を解放して自由になる実践」ということですね。
具体的なやり方——姿勢・呼吸・時間・場所・つまずきへの対処など——については、瞑想のやり方|初心者でもできる基本手順とコツで詳しく解説しています。
また、瞑想を続けるための心得や全体像については、瞑想入門もあわせてご覧ください。
瞑想と高次意識・悟りの関係
瞑想が深まると、高次意識や悟りといったテーマに関心が向くことがあります。
このテーマ自体はよいことですし、瞑想の「心を解放して自由になる」ことの究極のゴールが高次意識・悟り・解脱ですので望ましいことだったりします。
ただし、これらは誤解されやすい領域でもありますので、注意が必要です。
ここではその関係性を整理します。
プレゼンス(いまここに在る状態)とは何か
瞑想を続けていくと、次第に「いまここ」に明確に在る感覚が深まっていきます。
この「いまここ」に明確に在る感覚は、プレゼンスという言い方をしています。
これは単に集中している状態とは異なり、思考にとらわれず、「ただある」「存在している」という感覚です。
過去や未来ではなく、いまこの瞬間にしっかりと意識が根づいている状態とも言えます。
この状態は、言葉で説明するのが難しい部分もありますが、「自然に俯瞰しつつも静かで安心している」「安堵感のある広がりがある意識」といった「ある」という感覚。
で、このような在り方を「プレゼンス」といっています。
誰の中にももともとある意識であって、これが開眼してきます。
瞑想とは、このプレゼンスに気づき、それが自然に現れるようになるプロセスとも言えます。
瞑想と悟りとの関係(誤解しやすいポイント)
瞑想が深まると、「悟り」という言葉に興味を持つ方も多くなります。
しかし、ここで注意が必要なのは、悟りを「どうとらえるのか」ということですね。
悟りとは、日常がサマディーになることであって、これを自他の区別がない、無我といっています。恒久的な無我、それが悟りといいます。
瞑想から悟りに向かうのは難しく、まったく別の実践(坐禅)が必要になります。
なお、一瞥体験や覚醒体験と悟りは同じではありません。この点は一瞥体験・覚醒体験と悟り体験は違うでご説明しています。
瞑想体験による自我の肥大化に注意
瞑想を続けていると、人によっては神秘体験や特殊な意識体験をすることも出てきます。
プレゼンスや真我、一瞥体験、覚醒体験、エネルギー体験、禅定体験が起きる場合もあります。
こうした体験は素晴らしい体験であり、ギフト・恩寵(おんちょう)でもあります。
けれども高次体験をすることで、むしろ自我が肥大化してしまう場合もあります。
結局は、気づくこと、つまり自分の心を感じる・見守る・観察するといった自己観察(瞑想の基本)がとても重要になってまいります。
自分の心に無頓着になりますと、「何か特別な存在になった」というおごり高ぶった気持ちになったり、瞑想の界隈ではまたに起きる「グルイズム」になってしまうことも。
歴史を振り返れば、瞑想が絡んだ悲しい事件も起きています。
瞑想は、自己へのとらわれが減り、「あるがまま」「いまここ」となり、安穏に過ごし、周囲とも快い関係性が形成されることで、深いよろこびと感謝がわいてくる、そういうのが大事であると思います。
瞑想にか陥穽もありますが、畢竟、「自己観察をしているかどうか(自分の心に気づいているかどうか)」ということになります。
よくある誤解(総まとめ)
瞑想については、多くの誤解が広まっています。
これらの誤解が、実践の妨げになっているケースも少なくありません。
ここでは代表的な誤解を整理し、本質を明確にします。
瞑想=無になること
これは最も多い誤解の一つです。
瞑想は無になることではなく、「気づき」をともなった「あるがまま」「いまここ」です。
思考があっても問題ないんですね。
瞑想=集中すること
瞑想を「集中」と同じものと考えている人も多いですが、ここでおすすめしている瞑想は集中はしません。
あるがまま・いまここを土台にした瞑想です。
瞑想=何かを達成する行為
瞑想を始めると、多くの人が無意識のうちに「何かを達成しよう」とします。
しかし、それらは思考によるコントロールなんですね。
瞑想とはその逆で、コントロールを手放していくプロセスになります。
瞑想=思考をなくすこと
思考が出ること自体は問題ではないんですね。
人間の脳は、常に何かを考え続け、勝手に思考や雑念が出るようにできています。
瞑想では、思考をなくすことではなく、思考があることに気づいても、「あるがまま」「いまここ」とするのが大切です。
瞑想=リラックスだけで十分
瞑想によってリラックスが起きることはよく知られています。
しかし、リラックスだけでは不十分だったりします。
瞑想の本質は、リラックスに加えて、ナチュラルな気づきをともなった有り様です。
これによって「明晰性のあるくつろぎ」「内部から感じられるよろこび・安心感」も生じてきます。
瞑想=特別な人だけのもの
瞑想は誰でもできるシンプルな実践です。
特別な才能や経験は必要ありません。
瞑想=正しくやらなければ意味がない
瞑想に絶対的な「正解」はありません。
正解を求めることは、うまくやろうとすることであって、操作・意図的になってしまいます。
かえって瞑想の本質から離れてしまいます。
瞑想とは、あるがままに気づき、本来の自分に立ち戻っていく(心を解放し自由になる)実践です。
まとめ|瞑想とは人生を整え、深めていく実践
ここまで、瞑想の意味・本質・効果・やり方について整理してきました。
最後に、重要なポイントを改めてまとめます。
瞑想とは何かを、もう一度シンプルに捉えてみたいと思います。
瞑想とは、心を解放し、自由になること。
その具体的な実践は、あるがままに気づき、本来の自分に立ち戻っていくことです。
特別なことをする必要はありません。
何かを変えようとする必要もありません。
ただ、くつろぎの中で「あるがまま」にいま起きていることにやわらかく「気づく」。
それを繰り返していく中で、少しずつ内面の変化が起きていきます。
思考に振り回されにくくなり、感情に余裕が生まれ、日常の中での安定感が増していきます。
さらに深まると、静けさや安心感、やさしさといった感覚が自然に現れてきます。
それは外から与えられるものではなく、もともと備わっていたものが現れてきた状態なんですね。
瞑想は一度やれば終わりというものではなく、日々の積み重ねの中で深まっていきます。
短い時間でも構いません。
まずは今日、数分だけでも静かに座り、呼吸や身体の感覚に気づいてみる。
そこから、すべては始まります。
瞑想の本質をさらに深めたい方は、あるがまま瞑想、気づきの本質、プレゼンスの記事もあわせて読むと、全体像がより立体的に見えてきます。
瞑想の理解を深めたうえで、実際に実践してみたい方は、瞑想のやり方もあわせてご覧ください。

