瞑想では思考・考えが出ることは良くないのか?

瞑想時に思考・考えが出るのは悪いことではない

瞑想を始めたばかりの人向けに、瞑想に関するアドバイスを書いてみたいと思います。

瞑想を始めたばかりのときは、適切なやり方を知ることが大事になりますね。

それで瞑想をしていると「思考、考えが出ることはよくないのか?」という質問は昔から多くあります。

結論を先にいいますと、「思考、考えが浮かぶ」というのは決して悪いものではないんですね。出るのが当たり前です。

禅定という状態になっても、初期の段階では思考が自然に生じます。

なので思考が生じるというのは、人間にとって当たり前ですし、これをむやみに否定するのは良くなかったりします。

で、これももう一つの結論になりますが、思考は大事です。よく考える、深く考える、洞察を深める、鋭い洞察などは、むしろ望ましくなります。

思考偏重になっている人は考えすぎに注意

ただ現代では、人によっては思考に偏りすぎてしまっているため、人によっては思考ベッタリ、考え重視になってしまっています。

が、ほとんどの現代人は、むしろ思考が弱いといいますか、適切でない場合が多かったりします。

思考偏重の人は、気をつける必要があるってことですね。

思考もお金・モノも本質的には同じ

で、意識の深いところからいえば、

・モノ
・お金
・地位
・名声
・思考
・思想
・教え

これらは全部同じだったりします。
で、これらに偏りすぎる、ベッタリになってしまうと、すべて苦しみ、苦悩の原因になってしまいます。

心は安まることなく、リラックスもできず、気持ちも上の空になったり、常に焦燥感、落ち着きがないといった状態になります。

で、このこと自体が、実はほとんど気づかれていないんですね。

ですので、思考・考え(教えもそうです)によって苦しみが起きていることに気づいていないケースが多かったりします。いえ、慢性的になってしまって苦悩に陥っていること自体に気づいていないこともあります。

宗教では何故、欲が戒められるのか?

昔はモノが乏しい時代でしたので、モノへの執着に傾く人が多く、それで宗教では「欲」が戒められることが多かったんですね。

ところが現代では「思考」「考え」です。思考や考えに執着(とらわれている、偏りすぎている)人がいて、こうした人達は自らの苦悩の原因をきちんと理解していないことが多かったりします。

思考は良いことであるが故に、思考との付き合い方を知らないため、なんでもかんでも「思考は良い」と思い込んでしまっている節もあります。

なので哲学が尊重されることにも。
もちろん哲学の中にも優れたものがあります。

が、適切な思考の仕方を知りませんと、有害になってしまいます。うつ病になりやすい人は、考えすぎな人が多かったりしますが、こうしたケースは典型的なケースになりますね。

不適切な思考の仕方を戒めるy

不適切な思考の仕方は多いため、現代では「思考・考え・教え」に偏りすぎないことが大きなテーマになってきます。

で、思考・考えにベッタリになると、頭の中で常におしゃべりが続くようになります。

もちろん人間は、誰でも頭の中で勝手に思考や考え、イメージが湧いているんですが、これが強くなると、常に頭の中で考えがグルグルしたり、同じことがリフレイン(繰り返し)することが感じられるようになります。

中でもネガティブな考えが頭の中でグルグルし続けてしまうと、漠然とした苦しみ、苦悩、不安感をもたらすようになります。

そうなりますと、安らぎが感じられなくなり、生命本来の有り様がわからなくなってしまうんですね。人によってはまったくわからなくなってしまいます。

思考過多にはマインドフルネスがおすすめ

れ、これを解決するために、「マインドフルネス」が普及してきたという経緯もあります。

私としては、一般的に行われている「マインドフルネス」には欠点があると感じていますので、お伝えしている「気づきの瞑想」をおすすめしています。

ちなみに「マインドフルネス」と「気づきの瞑想」は似ていますが、やり方に根本的な違いがあります。

哲学は思考偏重の産物の側面がある

で、思考に偏りすぎると「哲学」になるんですね。実のところ、生命の躍動と切り離された哲学(知の働き)は精神を滅ぼす性質があります。

実際、哲学を真剣にやった人の多くは精神を病み、最悪、自殺に走っていますね。思考に偏りすぎることは、生命本来の息吹を感じさせなくさせて、ついにはその人を滅ぼしてしまう働きがあります。

哲学をしているといえば、すごいこと、非常に知的に思えるかもしれませんが、精神の健康面からいいますと、真逆なんですね。実際は自殺行為に等しいことをおこなっています。

思考、考えは、「凶器」になり得るということです。実際、言葉の暴力(いじめ)で自殺に追い込まれる子どももいますからね。思考、考えは、人を滅ぼす力があるってことです。

思考、考えも、物質的なモノ(ナイフや拳銃)とまったく同じ働きをするんですね。ですので、精神的な作用である「思考、考え」も取扱を適切にしないといけないわけなんですね。

思考の弊害は盲点になりやすい

モノ、お金、地位、名声への執着はわかりやすいんですが、現代では学校教育で「思考・考えは大事」であると強調して教えていますので、ほとんどの現代人が思考・考えに執着するように仕向けられています。

瞑想では、まずこの状態を自覚することが大事になります。ですので、こうして何度も書いているんですね:) で、「あるがまま」のトレーニングをして、思考・考えとの距離を適切にしていきます。

ですが、くどいようですが、思考・考えそのものは悪いものではく、むしろ有用なんですね。同じように、モノ、お金も有用です。ただ、これらにとらわれすぎることが問題になるわけですね。

気づきの瞑想によって対象物と適切な距離になる

気づきの瞑想をしていると、モノ、お金、思考などとの距離感が適切になってきます。

しかし、これらにとらわれている・執着していると、瞑想という行為そのものが難しくなってしまいがちですね。

何かに執着している状態ですと、「救済の道」が「苦しみの道」に感じられてしまう。皮肉なのですが、そんな現象も起きがちです。

けれどもこればっかりは自分を奮い立たせてでも精進して乗り越えていく必要があります。大事な試金石ですね。

マタイの福音書の「求めなさい。そうすれば与えられます。」は、至言ですね。

瞑想を続けてまいりましょう!

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