瞑想は「リラックス」と「あるがままに気づく」が要
瞑想で大切なことは、
- 1.リラックス(やさしく)
- 2.自然に「あるがまま」に気づく(感じる、見守る)
この2つです。
とてもシンプルです。
ですが、シンプルであるがゆえに、かえってわかりにくくなっているところがあります。
瞑想というと、何か特別なことをしなければならないように感じる方もいます。集中しなければならない、雑念をなくさなければならない、深い状態に入らなければならない、といった感じですね。
けれども、お伝えしている瞑想の大事なところは、まずやわらかくゆるみ、自然にそのままに気づくことです。
何かを加えたり行うことではなく、余計なことを落としていく。この有り様のほうが、瞑想になっていきます。
リラックスは土台
瞑想では、リラックスが大切です。非常に大切。
ある意味、リラックスが究極です。
事実、ヨガにはシャバアーサナ(死体のポーズ)があります。これは仰向けになってリラックスするポーズなんですね。
で、シャバアーサナが究極のポーズといわれています。
リラックスがいかに大切なのかがおわかりいただけるかと思います。
リラックスに連なる有り様として、やさしい、やわらかい、ゆるいというのがあります。弛緩系ですね。
瞑想は、まずリラックス、弛緩が土台になります。
リラックスは準備ではなく瞑想の一部
ただし、ここでいうリラックスは、単なる休憩とか、だらけることとは少し違います。
力みが抜け、こわばりがゆるみ、余計な緊張が減って、感じることや見守ることが自然にできるようになる。その意味でのリラックスです。
ですのでリラックスは、瞑想の前段階というだけでなく、瞑想そのものを成り立たせる大事な一部でもあります。
逆にいえば、緊張したまま、力んだまま、何かを頑張って起こそうとしたままでは、瞑想の本質から少しずつ離れてゆきやすくなります。
瞑想におけるリラックス全体については瞑想とリラックスの関係をご覧ください。
あるがままに気づく
で、このリラックスを土台にして、自然に「あるがまま」に気づく(感じる、見守る)ようにします。
気づく(感じる)際には、対象を設けます。
呼吸、腕の動き、足の動き、足の裏の感覚、全身の感覚などを対象にして、自然に「あるがまま」に気づく(感じる)ようにします。
リラックスと、自然に「あるがまま」に気づく(感じる、見守る)。
この2つで行うのが瞑想です。
あるがままに気づくときは何かを作らない
ここで大切なのは、何か特別な状態に「なろう・作ろう」としないことですね。
気づくというのは、無理に見ようとすることでも、うまく感じようとすることでもないんですね。
起きていることを「そのまま」、やわらかく感じること、触れていくことです。
つまり、呼吸なら呼吸、身体感覚なら身体感覚に対して、思考や評価をかぶせすぎずに、そのまま感じていく。
この「そのまま」が、瞑想の要になります。で、このときに「リラックス」が土台になるわけですね。
気づきの本質については、こちらも参考になります。
瞑想がうまくいかない理由
ところがシンプルであるが故に、余計なことをしてしまいがちです。
また今までの生活習慣は、瞑想とは真逆なことが多くなっています。ですので、このシンプルな有り様がわかりにくくなっている人もいます。
そのため、無意識のうちに余計なことをしてしまっていることも。
瞑想時に行いがちな余計なこと
瞑想時に行いがちな余計なこととは、
- ガンバってしまう(緊張してしまう)
- 雑念と戦ってしまう(雑念を振り払おうとしてしまう)
- 意志、意図、思考(マインド)で瞑想をしてしまう
この3つが多くなります。
これらは、無自覚、無意識のうちに行っていることも少なくなく、本人自身も自覚できていない場合があります。
そのため、瞑想を始めて何年か経ってから気づく・自覚するということもあります。
「瞑想には時間がかかる」と言われる向きもありますが、時間がかかる理由は、無意識のうちにこれら3つに陥っているのも大きな理由です。
気づきの瞑想がうまくいかない原因については、こちらにもまとめています。
気づきの瞑想がうまくできない原因|「理解の気づき」が盲点になる
マインドで瞑想をしてしまう罠
で、このうち「意志、意図、思考(マインド)で瞑想をしてしまう」というのは様々なケースがあって、一筋縄でいかない場合も少なくありません。
- 「気づこう、気づこう」としてしまう
- 「瞑想とはこうやるものだ、こうあるべきものだ」と考えながら瞑想をしている
- 瞑想をしているときに「できている・できていない」を常に判断している
- 誰かの瞑想体験と自分の瞑想状態を比較しながら瞑想をしている
- 瞑想のあるべき姿を基準にして、その基準を参照しながら瞑想をしている
などなど。ほかにもあります。ケースバイケース。
瞑想のときに、こうなっていると、瞑想がうまくゆかなくなります。
「気づこう」とするほど、あるがままから離れる
上記で挙げた落とし穴は、本人としては真面目にやっているつもりなんですが、瞑想からズレてしまうとい残念なことになるのが、本当に残念だったりします。
気づこうとしている。うまくやろうとしている。ちゃんと瞑想をしようとしている。理想の状態にしようとする。
けれども、その「しよう」が強くなるほど、瞑想から外れていくようになります。自然さも失われていきます。
あるがままに気づくというのは、本来、作為を強めることではないんですね。むしろ、作らない、乗せない、足さないという有り様に収斂していきます。
このあたりは、本当にちょっとした違いなのですが、この違いで瞑想の進み方が変わってきます。
「リラックス」ができると「あるがまま」ができるようになる
結局「あるがまま」になっていないんですね。
もっといえば、瞑想の土台である「リラックス」がうまくできない。
リラックスがうまくできないため、あるがままに気づくことができにくくなっているともいえます。
リラックスして、素直に、そのまま、あるがままに感じる・見守る・気づくようにするんですね。
反対に、思いや観念・思考を介入して(しかも無意識のうちに)瞑想をすると、途端に瞑想でなくなります。
ですので、リラックスと気づきは別々のものではなく、つながっています。連動しています。
リラックスができるほど、そのままに触れやすくなりますし、そのままに触れられるほど、さらに余計な力みが抜けていきます。
両方が揃ってくると、瞑想は次第に自然なものになっていきます。
瞑想ができている兆し
で、思いや観念、思考を介入させない、また介入が減っていくようになると、
・心地よい
・落ち着く
・ほっこりする
といった「いい感じ」が深まっていくようになります。
これらはリラックスの感覚ともいえます。
日常的な感覚に変化が出てくる
リラックスができるようになってきて、あるがままに気づくことができるようになると、日頃見慣れている景色や光景が、鮮明に見えたり新鮮に映って感激することも出てくるようになります。
また日々、当たり前と思っていることが、当たり前ではなく、有り難いこと、素晴らしいこととしてしみじみと感じたりすることも。
こうした感覚は、余計な思いや価値観、判断が介入していない、本当の「あるがまま」の始まりです。
お伝えしている瞑想と実践を続けていきますと、このようになっていきます。必ずなっていきます。
それはありがちな大げさな体験や刺激に満ちた神秘体験ではなく、静かな変化が多くなります。
けれども、その静かと思える変化が、日々の生き方や、認知としての受け止め方に、大きな変化として感じられるようになります。
「ほっこり」という感覚も、単なる気分ではなく、瞑想が自然に進んでいるときの一つの大切なサインになります。
このような瞑想特有の感覚については、こちらにもまとめています。
「ほっこり」は瞑想の効果を示す大事なサイン|善性・徳との関係も解説
日々の実践がリラックスを深める
それで、おすすめしている3つの実践
- あるがまま系の瞑想
- 祈り・ハート瞑想
- 日々の生活の言動を適切にする(サービス精神、言葉使いなどを含めたマナー、やさしさ)
- 天啓気療やセッションを受ける
を複合的に行っていると、リラックスでいるようになってきます。
で、真我系ヒーリング(天啓気療やセッション)を受けると瞑想が進みやすくなります。
逆にいいますと、日頃から言動が適切な方は、瞑想が進みやすい素養があるといえます。
瞑想や修行にもいろいろとありますが、お伝えしている瞑想と実践は、天人のような存在になる瞑想ともいえます(一つのたとえですが)^^
リラックスというのは、座っているときだけではなく、ふだんの言動、心の持ち方、対人のあり方にも作用してまいります。
その意味で、日々の生活の中でやわらかさや適切さが育まれてくることによって、瞑想そのものを促進させることになってまいります。
ですので、4つの実践の中には「認知を善くする・日々の生活における言動を適切にする」とあるんですね。
まとめ|リラックスと気づきを育てていく
現代人は、リラックスがわかりにくくなっています。
そのため瞑想もうまくゆきにくくもなっています。
リラックスができると、自然に「あるがまま」に気づくことができるようにもなってきます。
試行錯誤でさ迷う期間が長くなることもあります。
けれども途中であきらめることなく、信じて続けていくことも大切ですね。
瞑想は、畢竟、続けていくことが大切です。
精進してまいりましょう!

