霊性(スピリチュアリティ)とは何か|瞑想実践に欠かせない感受性・善性・正見

霊性(スピリチュアリティ)とはなんでしょうか?霊性とは、意外と多くの方が感じている感性です。心の感受性や善性、見えない世界への感覚、そして瞑想の深まりとも関係しています。

原始仏教では、輪廻転生、業報、異次元の世界、倫理道徳の大切さを理解することを「正見」として重視しています。

この正見は、霊性(スピリチュアリティ)の感覚とも深く関係しています。

この記事では、霊性(スピリチュアリティ)とは何かを、感受性、善性、叡智、サハスラーラチャクラ、そして瞑想実践との関係から整理してみます。

霊性(スピリチュアリティ)とは何か

霊性とは「スピリチュアリティ」のことをいいます。

この霊性(スピリチュアリティ)は、心の有り様、感受力、善性、そして瞑想実践の深まりとも関係しています。

また、その霊性はサハスラーラチャクラ(頭頂の開花)とも関係しています。頭頂が開くことと、霊性が育まれることは、別々のことではなく、関係があるとされています。

で、霊性(スピリチュアリティ)が開眼するためには、次の傾向が複数あると開きやすくなります。

霊性が開きやすい人の傾向

  • サムシング・グレート(創造主)を感じている(感じていた)
  • 異次元の世界(天界、餓鬼界など)があると感じている
  • 「生まれ変わり」があることを感じている
  • 業報(良いことをすれば良い果報が来て、悪いことをすれば悪い果報が訪れることを確信している)
  • 倫理道徳の大切さがわかる
  • 心に興味・関心がある(内省的)
  • 感動しやすい
  • 感受力が強い
  • やさしい性格
  • よろこび、笑うことが多い(特に子どものころ)
  • ユーモラス

こうした傾向です。実は、霊性とは、こうした傾向があると伸びやすかったりします。

霊性は天然自然な感性

ちなみに霊性というのは、オカルトや一般的なスピリチュアルとは違います^^;

知識で語ったり、神秘的なことやオカルトをお話しするのとは違うんですね。

霊性とは、心がやわらかい、感じる力がある、善性がある、目に見える世界だけで物事をとらえないといったものが、渾然一体となった感性でもあります。

子どもの頃に抱いていた天然自然な感性でもありますね。

ですが、仮に忘れてしまっていても、瞑想実践をしていると、このあたりの感覚がだんだんと蘇ってくることも多いですね。

頭で正しさを作るというよりも、呼吸や身体感覚に触れ、心の動きを見ていく中で、少しずつ開かれていく、よみがえってくると思います。

そうして、日頃当たり前になっている表面的な刺激や損得による認知ではなく、もっと奥にあるもの、目には見えない領域に感覚がひらいてくるようになり、それが霊性(スピリチュアリティ)だったりすることもあります。

霊性(スピリチュアリティ)の動画解説

こちらの動画では、霊性(スピリチュアリティ)について解説しています。

スピリチュアリティは大切

仏教のスピリチュアリティ

原始仏教が伝える霊性と正見

輪廻転生、業報(因果応報)、異次元の世界を信じていることは、原始仏教でも「正見(しょうけん)」の一つとして伝承しているくらいです。

で、ここでいう「正見」とは、霊性(スピリチュアリティ)のことをいっています。

【関連】サムシング・グレート

因果応報の本当の意味とは?|行為より認知を重視するのが仏教

原始仏教が伝えるスピリチュアリティ「正見」

ちなみに原始仏典では、悟っていない一般人が理解する「正見」として、次の4つをあげています。

・輪廻転生
・六道(霊的世界)の存在
・因果応報
・五戒(倫理道徳)が大切

これら4つを納得して信じていることを「正見」としています。

が、このことは「スピリチュアリティ(霊性)」のことだったりします。原始仏教では「正見」の中にスピリチュアリティを取り入れています。

というか「スピリチュアリティ(霊性)」がわかることを「正見」としています。ものすごく重視しているわけですね。

ここからもわかりますが、原始仏教は、スピリチュアリティ(霊性)を大切にしているということです霊性(スピリチュアリティ)を育むことが、修行の軸になっていることもわかります。

「正見」だからといって鵜呑みにしない

ちなみに、これら4つを信じることを「正見」としているとしても、闇雲に「信じ込めばよい」という意味ではないんですね。

もちろん、輪廻転生や因果応報、異次元の世界を受け入れることは一つのポイントになりますが、一方でブッダは「盲目的な信仰」を諫めています。

鵜呑みにしないこと、自分で確かめることができないことは理知にしたがって違和感があれば信用しないことなどを言われています(カーラーマ経:パーリ経典 増支部・三集・大品5

霊性としての正見

とはいっても、この世界は目に見えるものだけでは言い尽くせないない「何かがある」と感じるのが霊性だったりします。

瞑想をしていると、現実をただ物質的・合理的にだけ見るのではなく、もっと深い因果応報の理や、もっと繊細な心の働き、もっと奥にある領域を自然に感じることがあります。

そうした感覚が「霊性(スピリチュアリティ)」の一つのあらわれになります。で、その霊性が育まれてくると「正見」になるのでしょう。

霊性に由来する識別力

瞑想において最も大切なのは、自分の心を識別することです。その心が「善・霊性・非エゴ」なのか、「悪・魔・エゴ」なのかを見分けていきます。

仏教では智慧・慚愧・択法覚支、イグナチオは霊動弁別と呼んでいますが、すべて同じことを指しています。

この識別力の源が霊性です。霊性が弱いと善悪を嗅ぎ分けることが難しくなります。識別力が乏しいまま瞑想が進むと、智慧が生じず、心地よさだけにとどまってしまいます。

識別を深めることで、自分の心の背景にある意識・霊性への気づきが育まれます。これが「あるがまま」「いまここ」系の瞑想の目的でもあります。

霊性と感受性・善性・叡智

また霊性(スピリチュアリティ)は、「心に興味」があるといった内省的、感受性の強さとも関係があります。

さらに根がやさしい、笑う・よろこばしい性格とも関係があります。ユーモラスとも関係があります。

瞑想の極意「気づき」とは何か|感じる力・感受力の本質「識別」を解説

感受性があると霊性は育ちやすい

霊性は、神秘的な感性だったり、特別な人が持つ資質のように思われやすいところもありますが(確かにそういう一面があることも事実ですが)、実際のところは、感受性があること、心に関心があること、物事の奥を感じようとすること、こうした感性と関係があります。

たとえば、同じ瞑想をしていても、ただテクニックとして行うのと、心の動きや空気感、内側の変化を感じながら行うのとでは違ってきます。深まり方がそもそも違ってきます。

感受性がある人は、ときに生きづらさも感じやすいですが、その感受力そのものが霊性に連なるようになります。ただし適切に育む必要はあります。

感受力は、それを鈍くさせるのではなく、やわらかく感じながらもうまく整えていくことのほうが、瞑想的、霊性的には望ましかったりします。

霊性は善性や叡智としてもあらわれる

霊性(スピリチュアリティ)は、地頭の良さといいますか、霊性に基づいた賢さ(叡智)ともなって表れます。この叡智が、倫理道徳によく表れます。

で、このことを原始仏教では、慚愧(ざんき)と言っています。慚愧とは、悪いことをするのが怖い、ヤバイと感じる感性です。

で、慚愧(ざんき)とは、まさに霊性(スピリチュアリティ)の表れだったりします。霊性に根ざした叡智のあらわれだったりします。

この叡智こそ、上記でも書いた「善悪を識別する力(識別力)」になります。これを育み、磨き、伸ばすことも大切です。

原始仏教は、霊性(スピリチュアリティ)にあふれた実践でして、霊性(スピリチュアリティ)の片鱗が随所にみられます。

この叡智というのは、知識量が多いとか、理屈が立つとか、そういうことだけではありません。

むしろ、これはよくない感じがする、これは粗い、これはどこか無理がある、といったことが、感覚としてわかることのほうが近いです。

そして、この感覚は、瞑想で心が静まり、我の押し出しが少し弱まってくるほど、わかりやすくなってきます。外から押しつけられた正しさではなく、内側から自然に整っていく感じですね。

霊性(スピリチュアリティ)と倫理道徳

霊性(スピリチュアリティ)は、一般的には「倫理道徳」とも関係があります。先述の通りで、これは原始仏典にも伝わっていますね。

とはいっても、教条的・教えとしての倫理道徳ではなく、良識に根ざした善性といったほうが適切になります。

霊性は教え込みではなく感性として育つ

教条的・教えとしての倫理道徳は、むしろマインド的であり、攻撃性を強めます。

このことは、教条的・教えが主体の宗教(たとえばキリスト教)が、戦いや分裂、攻撃の歴史を繰り返していることからもおわかりいただけるかと思います。

教えに基づいた倫理道徳や戒律は入門向けではありますが、いつまでも教えにとどまっていると、攻撃性を帯びるようになります。

そうでなはく、天然自然の感性(霊性)に基づくと、「なんとなく大切」といったゆるい感性で、倫理道徳や戒律を大事にするようになります。

で、必ずしも絶対に守るというのではなく、一つのガイドラインとしての感覚になります。

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このあたりは、瞑想を続けていると少しわかってくるところがあります。

最初は「こうすべき」「ああしてはいけない」と頭で理解していたことが、だんだんと、こちらのほうが自然、こちらのほうが荒れにくい、こちらのほうが心が明るい、といった感じに変わっていくんですね。

つまり、倫理道徳が外からかぶせられたものではなく、心の深いところから自然に出てくるようになる。そうした変化には、霊性(スピリチュアリティ)がかなり関係しています。

霊性が開いていくことは、瞑想実践を通した生き方の変容とも関係しています。こちらの記事でも触れています。

瞑想で人生が変わるとは?|プレゼンス・ハート・霊性が開く実践

霊性(スピリチュアリティ)とは天とつながること~サハスラーラチャクラ

霊性(スピリチュアリティ)は、天とつながることでもありますし、天とつながるためには頭頂が開いている必要があります。サハスラーラチャクラ(頭頂)が開花することでスピリチュアリティがハッキリしてきます。

で、頭頂が開くためには、上記の傾向が必要になります。サハスラーラチャクラを修行で活性するのではなく、上記の傾向(スピリチュアリティ:霊性)を培うことで、サハスラーラチャクラは活性するようになっていきます。

ちなみに天啓気療の北澤先生は、瞑想指導においては、頭頂(サハスララ)が開いていることが大切と言われています。

瞑想実践に欠かせない霊性(スピリチュアリティ)

叡智、本当の意味での倫理道徳(善性)、輪廻転生・業報・異次元の世界を感じるなどなど。

こうしたことが霊性(スピリチュアリティ)と関係があったりします。

霊性(スピリチュアリティ)は、瞑想実践でも欠かせないんですね。といいますか、適切に瞑想を進めていくためには、霊性(スピリチュアリティ)は必須になります。

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霊性があると瞑想の方向がぶれにくい

瞑想は、その実践に裏側に「霊性」があります。

霊性は、瞑想実践で生じるさまざまな美徳が渾然一体となった感覚や感性でもあります。

また観察瞑想における主体(誰が見ているのか、誰が観察しているのかの主体)は、「霊性」ともいえます。

禅問答のようで何を言っているのかよくわからないと思うかもしれませんが、文字での理解を超えたことを、今、ここで書いていますが、畢竟、瞑想の実践実習によって、霊性というのがわかってくるようになると思います。

また、この霊性が大事であり、観察・気づきの主体であり、古来より世界中の宗教で重視し、目指していたモノであることもわかるようになると思います。

霊性は瞑想会や祈りの場でも育まれる

ちなみに瞑想会では、何人かの参加者とともに行いますが、このとき恩寵のように開けてくるエネルギーがあります。

このエネルギーも霊性(スピリチュアリティ)ともいえます。

適切な瞑想会、善意のある場、祈りのある場、こうした場にいるだけでも、恩寵(霊性)のはたらきによって、個人の力だけでは進みにくかったものが動き出すことがあります。

これは理屈だけでは説明しにくいところですが、場の持つ力、恩寵は、霊性と関係があります。

実践を続ける中で、心がやわらぎ、感受が戻り、頭頂やハートがひらいていく。そうした流れの中で、霊性(スピリチュアリティ)も育まれていきます。

霊性(スピリチュアリティ)を含めて、瞑想の全体像を知りたい方は、こちらも参考になります。

瞑想とは?初心者にもわかる意味と本質の完全ガイド

 

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