奥磐戸神社~小國神社【奥宮 本宮山】へ行く

奥磐戸神社(本宮山)~小國神社の奥の院

静岡県の森町には「奥磐戸神社(おくいわとじんじゃ)」があります。ここは小國神社の奥宮。本宮山(ほんぐうさん)の山頂にあります。

元々、小國神社があったと言われている場所ですね。今では神域となっています。

以前、何度か本宮山こと奥磐戸神社に行ったものでした。

本宮山の入り口からは、岩場の階段を登ります。途中、眼下に見渡す下界の景色が乙なんですね。見晴らしがいい

で、階段を上がり切ると、鳥居のある社務所に到着します。以前は、ここが山頂と思っていましたが、違っていましてね。まだその先があったりします。

その社務所の横には小道があって、ここを上っていくとお目当ての「奥磐戸神社」があります!ここがゴール。本当の山頂。

奥磐戸神社の周囲は杉の木で囲まれていて神秘的です。かなりいい感じ。静寂に包まれています

おもむろに祝詞をあげたくなったので、憶えている祝詞をあげました。で、唱え終わると、おお、黒いアゲハ蝶が飛んでいるじゃあありませんか。なんかいい感じ。

奥磐戸神社(小國神社)の歴史

そんな奥磐戸神社なんですが、歴史は古く、古墳時代にさかのぼります。起源555年に御神霊が出現せられたといいますね。ご神域です。元祖小國神社。

社伝によると「欽明天皇の時代の555年(古墳時代の後期)に、本宮山の頂上(現在の奥磐戸神社)に『小國の神』という神霊が出現した」というエピソードが伝わっています。

小國の神が本宮山に出現したことがきっかけで小國神社定められます。

小國神社は朝廷との結びつきも強かった

ところで小國神社は、朝廷との結びつきも強かったようです。

社伝では第29代欽明天皇の時代、小碓命の子孫である太田君と森君の一族が、祖先の遺跡を探し歩きこの地を定めてとあります。

また小國神社には、物部氏に伝わる神事もあるといいます。

そもそも神霊を祀るヒロモギをしつらえるにしても、朝廷の承諾を得ていたようです。

しかしよくよく考えればわかりますが、ヒロモギを作るのに朝廷の許可は要らないでしょう。古墳時代は、中央政府が及ばない地域もありましたし、地域に根ざした慣習にちなんで祀ってもいいですからね。

ヒロモギの一件からも、小國神社は朝廷(中央政府)とのちながりの強い神社なことがわかります。

555年に本宮山に小國の神が現れたのは創作?

ちなみに小國神社と対になる天宮神社は、中央政府の役人が来て定めた神社です。

小國神社もそうですが天宮神社をはじめ森町の神社は朝廷との結びつきが強く、社伝にある「555年に本宮山に神霊が現れた」は創作の可能性もあります。

ところで555年に出現した神は「小國の神」とあります。

御祭神が「小國の神」から「大國主命」に変わった

しかし現在の小國神社の御祭神は大國主命(大己主命)。

小國の神から大國主命に変わっています。
神社御祭神の書き換えですね。

小國神社の御祭神は本当は「小國の神」。
これが「大國主命(大己主命)」に。
奈良時代以降よく行われた御祭神の書き換えです。

朝廷は神社を管理統制下に置くために御祭神を変えた

書き換えたということは、「小國の神」のままでは奈良時代の朝廷(中央主権体制)にとって管理しにくかったのでしょう。

古事記・日本書紀に沿った御祭神でないと朝廷としては管理しにくい。そこで御祭神を書き換えたんだと思います。

けれども奈良時代に御祭神が「小國の神」から「大國主命」に変わったということは、もしかすると555年に神霊(小國の神)が出現したというのは本当の出来事なのかもしれませんね。

遠江国における一宮は2社ある

ちなみに御祭神の書き換えは、奈良時代にわりと行われていたようです。小國神社もおそらくそうではないかと思います。

で、小國神社は朝廷の管理下にあったため、遠江国(遠州)における一宮(地域の守護神社)にも認定されたのではないかと思います。

もう一つの遠江国一宮「事任八幡宮」

ちなみに遠江国(遠州)には一宮が何故か2社あります。

もう一つは掛川の「事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)」です。

事任八幡宮がある場所は、縄文時代からのアニミズム信仰を感じさせます。大地そのものからわき上がるエネルギーは強いものがありますしね。

パワースポットでいえば事任八幡宮のほうが強い。

ですので遠州における本当の一宮は「事任八幡宮」じゃないかと推察しています。

小國神社は、古墳時代から朝廷とのつながりが強かったため、一宮にも選定された。おそらく、そんなところではないかと思います。

ここからも小國神社が中央政府(朝廷)と縁(ゆかり)の深い神社なことがわかります。

「小國の神 遠江國一宮 小國神社誌」はくわしい

ところで小國神社の歴史については「小國の神 遠江國一宮 小國神社誌」が詳しいですね。昔、図書館で借りたことがあります

で、この書によりますと、小國神社は、

  • 中央政府の高級官僚だった物部氏が創建。
  • 東国の際限である遠州地方を統治する目的で創建。
  • 物部氏ゆかりの物部神社の古祭祀と共通している(6つも)
  • 555年に神霊が出現した話しは江戸時代に初めて登場。
  • 縄文時代からのアニミズムの影響はない。
  • 弥生時代から古墳時代にかけて登場した新造の神域。

であると。なるほど。説得力があります。
史実は、おそらくこの通りかもしれません。

で、この書によれば、社伝にある「欽明天皇の時代の555年(古墳時代の後期)に、本宮山の頂上(現在の奥磐戸神社)に『小國の神』という神霊が出現した」というエピソードは、創作の可能性が高いといいます。

記紀に登場する天孫降臨になぞらえて作った権威付けの話しであるとか。

小國神社の一帯は天界の空気

けれども、小國神社のある一帯は天界の空気を感じさせます。神さまへの信仰が厚かった感触がありますね。長い間、多くの人が信仰し続けてきたことが、天界との気線をつむぎだしたのかもしれません。

「555年に神霊(小國の神)が降臨した」という話しは、創作の可能性が大ということですが、もしかして事実?なんてゆー思いを馳せたくなるほど清涼な空気感が漂う一帯です。さて、真相はいかに?

古墳時代の後期555年に神霊が出現したといいます。この伝承は創作の可能性もありますが、奥磐戸神社は天空からエネルギーが降り注ぐ、天界との気線のある神社だと思います。場所が場所だけに参詣者は誰もいなかったのですが、神秘的かつ清々しいところですね。いい感じです

奥磐戸神社(本宮山)への行き方

ちなみに「奥磐戸神社(おくいわとじんじゃ)」への行き方ですが、車で行くのはハードだったりしますね。

本宮山まで行くのは大変です(しかし裏ワザがあります)。

実は本宮山の入り口まで車で行くことができます。

まず薄場製茶を目指します。ここですね。
https://goo.gl/maps/y65CirvhnkqhQsUT7

で、この先の道を北西に向かって進むと、地図上では行き止まりになっています。

が、この先にまだ道があります。グーグルマップにも載っていない農道があります。この農道の道なりにずっと進んでいくと鳥居が右手に見えます。

この先をもっと進みます。やがて砂利道になります。右手に少し開けた空き地(駐車場)らしき所が出てきます。ここに車をとめます。

で、この横に「本宮山頂上」という支柱が立っていて、本宮山の入り口になっています。

グーグルマップにも載っていない道(農道)を使うのが裏ワザです。

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