気功とはサティ・気づきの瞑想のこと
気功と瞑想(サティ・念・気づきの瞑想)は本質が同じです。
で、中先生の気功が「気づきの瞑想」と同じであることも、こちらの動画を見ればよくわかると思います。
この動画で「返照(へんしょう)」ということを言っています。で、「返照」とは、
- 気功では、源(返照)に戻ることを大切にしている
- 「返照」とは「原初の意識」
- 「観照の意識」ともいう
- 「あるがままに気づいている」こと
- 自我の反応のないところ
- 真我
といっていますね。
が、これらはすべて同じことになります。
で、これが「気づき」「念(サティ)」なんですね。
「プレゼンス」ともいいます。
気づきが深まることは精妙な感受力の高まり
で、「気づき」が深まるということは「精妙な感受力」が出てくることなんですね。
で、この精妙な感覚がつちかわれていくプロセスで「気」がわかるようになります。
そういうことなんですね。
また「精妙な感受力」が出てくると、より微細な心がわかるようになります。より精妙な領域の自分と向き合うことができるようになります。
気づきが深まると真我・宇宙意識がわかるようになる
で、「原初の意識」「真我」といわれるのがわかるようになります。「宇宙意識」ともいいます。
これらの意識の正体は「気(エネルギー)」です。
気・エネルギー≒真我
しかし厳密にいえば「気(エネルギー)」が、「真我」「宇宙意識」とは言えないところがあります。
つまり
真我⇒気・エネルギー
であって、
気・エネルギー≒真我
ということなんですね。
真我・宇宙意識・根源意識の性質の一部が、気・エネルギーでああるということ。
しかし気・エネルギーそのものが、真我・宇宙意識・根源意識ではないということ。
この関係性の理解は大切です。
真我≒悟り
それと、真我、観照の意識、原初の意識(根源意識)は「悟り」ではありません。
悟りは、もっと別です。
悟りと真我との違いは、こちらの「一瞥体験・覚醒体験と悟り体験は違う」という記事で説明しています。
真我と原始仏教
なお補足すれば、テーラワーダ仏教(原始仏教)では、真我という概念を使いません。また否定します。
なぜなら真我には「永遠不滅」という意味があり、これがおそらく解脱の概念と衝突するために、原始仏教では真我という概念を否定したんだと考えています。
そのため、真我の代わりに「補特伽羅(ふとがら)」という言葉を使って、真我的な性質を言っていたと推察しています。
ちなみに原始仏教では、真我の性質である「善」に注目し、善を強調していたとも推察しています。
気功でわかる真我意識
そういうわけでして「瞑想(気づきの瞑想、プレゼンス系の瞑想)」「気功」を行っていると、こうした真我の意識がわかるようになってきます。
で、真我の意識がわかることによって、善性も身につくようになっていくんですね。
なので「瞑想=気功」なんですね。
気功=瞑想
気功は、適切な文脈と、適切なやり方をしていくと素晴らしい効果効能をもたらします。
手を動かしているだけの「手動瞑想」は「気功」ともいえます。
こうしたことは実体験として感じていました。
で、中健次郎先生の気功もまったく同じだったんですね。なので、中先生の気功をおすすめしています。
「気」の説明は伝統にはない
しかし、このような説明は、テーラワーダ仏教ではしていません。いえ、できないんですね。
でも、以上のような説明を聞くと、「気づきの瞑想」のすごさがわかるんじゃないかと思います。
ただ手を動かしている「手動瞑想」に、こんなに奥深いものがあったんだ、ということがおわかりいただけるのではないかと思います。
手動瞑想に限りません。気づき、念(サティ)系の瞑想を適切に行っていると、気功的な感覚にひらけていくようになります。
気を生じる2つのアプローチ
ちなみに「気」を生じるプロセスには、大きく分けて2つあります。
王道は「気づきの瞑想」です。ソフトかつ精妙な観察を経ながら生じるアプローチですね。
もう一つは、中国気功に多いやり方です。修行系ですね。
ちなみにさらに深い領域の気・エネルギーに、天啓気療があります。
まとめ
私は、今では伝統の教義に縛られない説明やアドバイスもしています。気功は、瞑想を説明する上で役立ちます。
ご興味を持った方は、ぜひ瞑想会(気功教室)への参加をお待ちしております。
毎月、瞑想・気功教室を行っています。
浜松市の気功教室「ゆるっと気功」
【平日】瞑想・気功教室 4月8日(水)10:00~12:00
【土曜】瞑想&気功教室4月4日(土)13:00~15:00

