深い瞑想の道では、こちらから強く勧めない
さて、この前は「これからは、多くの方がプレゼンスにひらける活動に力を入れていこうと考えています」と書きました。こちらの記事ですね。t
プレゼンスとは?|真我(本当の自分)という高次意識への入り口
ただ、一つだけ注意していることがあります。それは私のほうから「◎◎さん、プレゼンスにひらける方法をお教えします。ぜひいらしてください」とお声をかけることは原則していないということです。
瞑想会や勉強会などに参加された方に対しては、個別にお声をかけることはあります。
けれども瞑想会や勉強会などに参加していない方に、私から「プレゼンスにひらける方法を教えます。ぜひ参加してください」ということはほとんどしていません。
と書きますと、
「ええぇー!???」とか「なんて傲慢なんだ」と思われるかもしれません^^;
けれども、これも経験上から、そういう風に思うようになっているんですね。
「え?どういうこと?」「そんな心の狭いことを言わないで、もっと多くの人に声をかけて呼びかけてはどうなの?」と思われるかもしれません。
私から声をかけてうながすと上手くゆかない
そもそも私から声を掛けてうながすと、うまくいかないケースが多いんですね。どうもうまくゆきません。
ですので、不特定多数の人を集めて瞑想指導を・・・というのは、今の私にはハードルが高くなります。
将来、できるようになるかもしれませんが、今は難しいですね。またそういうことをする気持ちは、今のところまったくありません。
このあたりは、単に私の好みというだけではなく、深い実践ほど、本人の内側からの求めが土台になるからだと思っています。
他人から勧められて始めたことは、最初は動けても、少し深くなってくると持たなくなることが多いんですね。やらされ感が残っていると、どうしても途中で止まりやすくなります。
瞑想では発心が欠かせない
といいますのも、自ら求めることが大切だからなんですね。
で、まずは、ご自身からアクションをしていただくことですね。そうでありませんと、瞑想を継続するのが、実際のところなかなか難しいんですね。
経験上、「自ら求める姿勢」、これが欠かせないと感じています。
瞑想会や勉強会などは、公開して参加を呼びかけています。こうしたイベントへの場合は、個別に参加のお声をかけています。講師を招いた瞑想会では、一斉メールを送って呼びかけもしています。
が、プレゼンスに開かれるといった深い話しになりますと、私のほうからお声をかけて参加をうながすことは、ほとんどしていません。まずはご自身から参加していただくことをモットーとしています。
しかし、誰にでも声をかけるという姿勢は、ちょっと違うと思うんですね。
ことにプレゼンス(瞑想の一里塚)になると、深い話しになってきます。表面的な瞑想会や言葉で完結するセミナーとは内容も性質も全然違ってきます。
そもそも瞑想の道は「求める」道です。求める気持ち。これを「発心(ほっしん)」といいます。自分から求める心ですね。
悟りにしろ、真我にしろ、プレゼンスにしろ、誰かから奨められて歩んだりするものではなく、自分から求めていく性質です。
ですので、自ら求めていく、そういう姿勢が欠かせません。てか、この道は、そういうもんです。
高い意識を目指す場合は発心は不可欠
もっとも、最初にも書きましたが、誰でも参加できる「講師を招いた瞑想会」は別ですね。
こちらはイベント性も高いですし、それほど深いところまで扱いません。文字通り誰でも参加できます。そういう主旨のイベントになります。
けれども、精神の深いところ、高い意識を目指すという、いわば本格的な歩みになった場合は違ってまいります。
デリケートなところも出てきます。「自分から求める」「発心(ほっしん)」が大事になります。
発心というのは、単なる興味とは少し違います。
「なんとなく面白そう」「ちょっと体験してみたい」も入口としては悪くないのですが、本格的な実践になると、それだけでは続かないことが多いんですね。
自分から向かう気持ち。わかりたい、深めたい、実際に歩んでみたいという心。そうしたものがあると、困難があっても続きやすくなります。
ですので、発心は精神論というより、実践が継続するための現実的な条件でもあります。
プレゼンスそのものについては、こちらでも触れています。
プレゼンスとは?|真我(本当の自分)という高次意識への入り口
求めていないと挫折やミスマッチが起きやすい
結局、その方自身が求めていないと、途中で挫折してしまうことが多くなるってことなんですね。
また「求めていない人」に対して、「さあ、やろうよ」と言っても、ミスマッチが起きて、うまくゆかないことが多いんですね。
求めていない人を助けるとギクシャクするという研究報告
奇しくもメンタリストDaigoさんが似たようなことを言っています。
タイトルはちょっと過激なんですが^^;、「求めている」「助けて欲しい」と思っていない人を助けると、かえってお互いがギクシャクしてしまうという研究報告です。
聴き方によってはエグいといいますか、なんだかなあと感じるところもあります。が、しかしこのことは瞑想や修行にピッタリ当てはまります。
やはり求めていませんと、どうもうまくゆかないんですね。
これは冷たいということではなく、実践の性質の問題だと思います。
深い瞑想では、本人が本当に必要としているかどうか、今その歩みに向かう準備があるかどうかがかなり大きいんですね。
こちらが善意で勧めても、本人の側にその求めがなければ、結局は続かなかったり、こちらも相手も気まずくなったりします。
ですので、最初から無理に押さないことも、ある意味では誠実さだと思っています。
求める意欲や熱量については、こちらでも書いています。
瞑想には意欲・熱意が欠かせない|続けるために必要な精進力とは
また、継続の大切さについては、こちらも参考になります。
自燈明・法燈明の姿勢が大切

そもそも昔から、「自燈明・法燈明」といった言葉があるくらいです。これはブッダの言葉として有名ですね。
自らを灯火として、法(実践法)を灯火とする。
つまり、他者への必要以上の依存を戒めた言葉です。指導者や仲間は必要ですが、すべてを指導者に頼り切るくらい依存するのは、実践者としては失格になります。
過度な依存では、まず自己の成長は図れません。
発心が必要なんですね。
発心がありませんと、瞑想実習の継続そのものが難しいんですね。で、発心があれば「自ら参加」するようになります。私からお声をかける必要はありません。
もちろん、指導者や場そのものは大切です。ひとりでは難しいこともありますし、支えや導きが必要な時期もあります。
けれども、だからといって全部を預けてしまうと、自分で確かめて歩む力が育ちません。
自燈明・法燈明というのは、孤立しろという意味ではなく、依存しすぎず、自分でも確かめ、法を拠り所にして歩みなさいということですね。
その意味でも、発心は不可欠なんです。発心がある人は、自分から参加し、自分から確かめ、自分から歩んでいこうとします。
自ら求める人を歓迎している
こうしたことは経験上、知り得ています。
ですので、プレゼンスといった本格的な瞑想修行の歩みになった場合は、私のほうからお声をかけることは控えるようにしています。
まずはご自身からアクションを取っていただく。
これをお読みになって「私も瞑想(プレゼンス)がわかるようになりたい」「真我を知りたい」と思った方は、ぜひいらしてください。
ただ私の方針もあります。こちらをお読みになって、方向性や条件が合っていそうならば、まず連絡をしてください。
プレゼンス、真我、悟り。これらは求める気持ちがありませんと、挫折することが多くなります。
自ら求める「発心(ほっしん)」は欠かせません。自燈明・法燈明です。プレゼンスの道は、発心が大事になります。
お気楽にやっていても、発心は必要
今日の記事は「なんか気難しそうだなあ」なんて思わるかもしれませんが、大事なことなんですね。
とはいっても、実際はお気楽にやっています。ええ。ゆるりと行っています。お気楽ごくらく路線ですぅ。
が、求める姿勢、発心が大事ということなんですね^^
瞑想会や勉強会への参加については、既にこちらでもご案内しています。
瞑想会に参加するための6つの条件~まずはZOOM or リアル面談が必要
瞑想の重要ポイント4選|講座で解説した実践内容(動画あり)

