感受性を育てることは瞑想実践で大切
瞑想の実践実習では、「感受力」や「感受性」を育んでいくことを大切にしています。
感受性を高める方法|慈悲・やさしさで感じる力を育てる瞑想実践
感受性は、瞑想を深めていく上でも、また自分の心を感じ取っていく上でも、とても大事なエッセンスなんですね。
ただ、もともと生まれながらにして、感受力や感受性が豊かな方もいらっしゃいます。
そういう方の中には、瞑想をする前から、すでに慚愧の感覚、善の感覚、霊性の感覚と結びついている方もいらっしゃるんですね。
これは、とても素晴らしいことだったりします。
感受性が豊かでも善性や霊性と結びついているとは限らない
ただ、ここで大事なことがあります。
感受力や感受性が豊かであることと、善性や慚愧、霊性がわかることは、必ずしも同じではないんですね。イコールでない場合もあります。
「え?」と思うかもしれません。
でも、これはあるんです。
感受性が強い。
いろいろなものを感じやすい。
人の気持ちや場の空気に敏感である。
それ自体は、もちろん大切な要素です。
けれども、それだけでは、まだ不十分なところがあるんですね。
感受力や感受性が、善の感覚、慚愧の感覚、霊性と結びついていること。
ここが大事なんですね。
霊性(スピリチュアリティ)とは何か|瞑想実践に欠かせない感受性・善性・正見
神経質さも感受性の一つのあらわれ
わかりやすい例で言いますと、「神経質」という状態があります。
神経質であるとか、気難しいとか、細かいことが気になりやすいとか、そういう状態ですね。
これも、感受性が強い状態なんです。
ただし、その感受性が、ネガティブな考えや、ネガティブな感情と結びつきやすくなっているんですね。
何かを感じる。
でも、それを不安として受け止める。
ネガティブに受け止める。
必要以上に疑う。
こういう認知パターンになっていることがあるんですね。
感受性があること自体は大切なんですが、その感受性がポジティブなのかどうか。
ここを見ていく必要があるんですね。
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感受性を明るい方向へ育てていく
そこで大切になるのが、認知パターンを少しずつ明るい方向に育てていくことなんです。
何かに触れたときに、
「ああ、ありがたいな」
「これは素敵だな」
「なんだか温かいな」
「こういう優しさは大切だな」
というふうに、良いものを良いものとして感じ取れるようになっていく。
言い換えると「素直さ」。
これが大事なんですね。
瞑想実践と並行しながら、こうした認知パターンを育てていくと、感受性が少しずつポジティブになっていきます。
そして、感受力や感受性が、明るい認知、温かい認知、善いものを感じ取る認知と結びついていくと、自然と慚愧や霊性ともつながりやすくなっていくんですね。
ここは、少しわかりにくいところかもしれません。
けれども、構造としては、そういうことなんです。
感受性があるだけでは瞑想が深まるとは限らない
ですので、感受力や感受性があるからといって、それだけで「望ましいかたちで瞑想が深まる」ということにならない場合があるんですね。
もちろん、ある程度の感受力があれば、瞑想的な感覚は生じやすくなります。
身体がくつろぐ。
気の流れを感じる。
意識が広がるように感じる。
静けさや変化を感じる。
そうした感覚は、コツコツと瞑想をしていると出てくることが多々あります。
ただ、それは瞑想的な現象(感覚)の一部分を切り取った状態でもあるんですね。
感受性の高まりがもたらす変性意識
瞑想には、変性意識というものがあります。
普段とは少し違う意識状態になることですね。
変性意識の中には、善性・霊性と結びついていない意識があります。
たとえば、ドラッグですね。ドラッグでも特殊な変性意識になります。瞑想に似た意識になります。
しかし、これは不健全。もっといえば、善性・霊性と切り離された、「意識だけが瞑想的な状態」なんですね。
「瞑想的な現象(感覚)の一部分を切り取った状態」とは、このような変性意識をいいます。
瞑想の文脈では、この変性意識を楽しむようなやり方もあります。
それも一つの楽しみ方かもしれません。ですが、少なくとも私のほうでは、この手の変性意識を楽しむ文脈ではないんですね。
というのも、善性や慚愧、霊性と結びついていない変性意識には、落とし穴があるからなんですね。
善性・霊性の無い変性意識は天狗界に入りやすい
霊性や慚愧と結びついていない感受力。
善性とつながっていない感受性。
そうした状態で、瞑想的な感覚や、気エネルギー的な感覚ばかりを追いかけていくと、いわゆる天狗の世界に入りやすくなります。
天狗界ですね。
「天狗界」とは、霊的な感覚や能力を追い求め、宗教性や霊性を観念的に理解することを好み、また愛やハートを欠如・乏しい実践者が行く次元とされています。
苦しみの心に満ちた世界であり、行ってはいけない世界(有り様)であると、古来からの日本の霊道・神道系で言われていることです。
天狗界については、こちの記事が詳しいです。
天狗界へ行ってしまうことは、あまり知られていない瞑想の落とし穴だったりします。
善性・霊性を欠いた感覚は危うい
瞑想だけではありません。
気功や、気エネルギーに関する実践にも、同じような落とし穴があります。
何かを感じる。
気がわかる。
エネルギーがわかる。
能力を高めることだけに専念する。
思いやりとかハートなんて甘ったるくてやってられない。
そういう方向に進んでいく姿勢。これは天狗界コースです。危うかったりします。
もちろん、何かを感じること自体が悪いわけではありません。
気エネルギーを感じることも、それ自体は悪いことではありません。
その感覚が、善性や慚愧や霊性と結びつくことが大切なんですね。
感受性は明るさ温かさと結びつくことが大切
感受性が高まることは大切です。
気の感覚が出てくることも、瞑想的な感覚が出てくることも、良いことなんですね。
けれども、それが明るく、温かく、ハートフルな心と結びつくようになるか。
ここが大事なんですね。
明るくなる。
幸せな感じが出てくる。
ありがたいと感じる。
人に対する優しさが増す。
善いものを善いものとして感じ取れるようになる。
こうした心に発展していくことが大切なんですね。
おすすめしている実践実習を、適切に続けていけば、少しずつそうなっていくと思います。
ただし、不適切な形で行ってしまうと、感受性だけが強くなって、文脈を違えてしまうことも出てくるかもしれません。
善性・慚愧・ハートフルさが感受性を適切にする
結局のところ、善、慚愧、ハートフルさ。
このあたりの大切さをしっかり理解しないまま、気エネルギーの感覚や、感受性を高めることだけに走ってしまうと、方向を間違えやすいんですね。
瞑想では、感受力や感受性を大切にしています。
天啓気療を受けて、
「ああ、何か感じる」
「効果を感じる」
ということもあります。
それは、それで良いことなんです。
ただ、その「感じる」というものが、慚愧や霊性の方向に結びついていくためには、人によってはトレーニング、つまり実践が必要になります。
ここは、あまり知られていないところだと思います。
感受性があるから大丈夫、ということではありません。
何かを感じるから深い、ということでもありません。
その感受性が、健全な有り様に育っていくのか。
善性へ向かっているのか。
慚愧へ向かっているのか。
霊性へ向かっているのか。
ハートフルさに育っているのか。
ここをきちんと感じて、気づいて、洞察していく必要があるんですね。
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感受性は正しい方向づけによって深まる
感受力や感受性は、とても大切なものです。
ただし、それは一つの素質であって、それだけでOKというわけではないんですね。
大事なのは、その感受性が、善性、慚愧、霊性、慈悲、ハートフルさと結びついていくことです。
感受性がそのように育っていくと、瞑想も気功も、健全に深まっていきます。
逆に、感覚だけ、能力だけ、特別感だけに向かってしまうと、天狗界に入りやすくなります。
ここは、実践を進める上で、とても大事な注意点なんですね。
