悟り・解脱と神秘体験とは違う
「悟り」と「神秘体験」は違う。
以下の記事は、2022年2月と4月に行った「悟りと神秘体験は違う」と題して悟りに関する講座を元にしています。
講座では、大竹晋氏の「悟り体験を読む」をテキストに使用。この著書は、日本で記録に残っている悟り体験が数多く掲載されているからですね。
ただ実際は、悟りではなく覚醒体験などの神秘体験が多いと思われます。
世の中には、見性体験、一瞥体験、真我体験、クンダリーニ、ワンネス――などの体験がありますが、こうした体験と悟りとは異なるということですね。
以下はまとめの記事になります。
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「悟り体験を読む」講座レポート~2022.2.13-2022.4.11
1.悟りに関する前知識
まず前知識になります。プロローグとして「悟り」と「神秘体験」は違うということになります。
最初に我見という認識の煩悩を根絶させる
最初に押さえておきたいのは、「私」という認識に関する煩悩です。悟りの定義ですね。原始仏典では悟りではなく解脱としていますが、原始仏典の伝承がもっともよくまとまっています。
★悟りに関する予備知識
- 悟り(解脱)とは?
- 悟り(解脱)に至る方法は?
- 悟りは「私」という認識の根絶から始まる、三毒の根絶
悟り・解脱がおすすめの理由|苦の根絶と一瞥体験・覚醒体験との違い
悟りの階梯
悟りは禅で使われる言葉で、実質、預流果(よるか)を指しています。ブッダが説いた仏教では解脱といっていますが、解脱には階梯(4つの階梯)があります。
★原始仏教における悟り
- 原始仏教における悟りの階梯・・・煩悩の根絶にフォーカス~四向四果、三道
- 預流果は「私」という認識が根絶した存在
- 見道・・・預流果、修道・・・阿羅漢果まで、無学道:阿羅漢果
★大乗仏教における悟り
- 大乗仏教に関する基礎知識・・・基本的に原始仏教と同じ
- 大乗仏教には「仏教もどき」も含まれているから紛らわしい
- 大乗仏教における悟りの階梯・・・解放と自由にフォーカス~菩薩の十地
心・意識の変遷
心と意識の変遷という観点から、悟りと覚醒体験の違いを見ていきました。見ている自分が残っている体験は悟りではなく、覚醒体験などの神秘体験になります。
★心と意識の進化から悟りを説明
- 覚醒体験(見性体験、一瞥体験)とはエネルギー体験~見ている自分がいる
- 覚醒体験は悟りではない
- 悟り~二元構造から脱却
- 禅の悟りへの疑惑~禅には三毒根絶が伝わっていない
- 禅の悟りの先にある「修道」
- この話しをしにくい理由
- 大乗仏教の中観派・瑜伽唯識派は現存していない
- 日本の仏教の特徴
- 理解・解釈としての「無我」の怖さ
- 枯れ木の修行をしても覚醒体験が起きる
クンダリーニ、チャクラの覚醒~対象を持った瞑想・修行で起き得る
対象を持った瞑想や修行では、エネルギー的な変化が起きることも。しかし、これらは解脱ではありません。ここが混乱されているところがあります。
★エネルギーが覚醒する3つの道
- 自分を追い込む道(自分を殺す)
- 見性体験の仕組み~覚醒体験をした人に鬱が多い理由
- 善行功徳の道~原始仏教に伝わる
- 生理的な道(チャクラ、クンダリーニの開発)
- 無我を解釈すると枯れ木になるが覚醒体験が起きる
- 本当の悟りとエネルギー体験がごちゃ混ぜになっている
- ナチュラルスピリット社の覚醒本には本当の悟りはない
- 「私」が広大になると「私はない」になりやすいが「見ている自分がいる」
- 「自分がない」ことを認識しているのは無我ではない
- 日本の仏教は明治維新以降さらに堕落した
- 「悟り体験をよむ」の話し
- 真実は受け入れ難い~黒でも白とする
2.悟りの真実
この講座の中心になります。「悟り」と「神秘体験」は違う~瞑想の対象の有無で異なる結果。
悟りと覚醒体験との違い
認識の煩悩をはじめ、詳細にご説明。かなり踏み込んでいます。
- 認識の煩悩(三結)について
- 瞑想の仕方の違い
- 対象があると「自分-対象」の二元構造になる
- 認識がいったん止むと「ナマの事実」がわかり苦しみがなくなる
- 覚醒体験は「意識の拡大と高揚」、エネルギー体験
- 悟りには悟り体験はないが、覚醒体験には体験がある
- 記憶がからまない「ナマの事実」は悟らないとわからない
- 対象があるから理解ができる(対象がないと理解できない)
- 覚醒体験は体験がバラエティ
- 覚醒体験は何度もすることがある
- 覚醒体験は「意識の変容」が起きる
- 覚醒体験では「完全に『私』は根絶しない」
- 現代の悟りマスター・アジャシャンティ「時々自分が戻ってくる」
- 覚醒体験のまぎらわしい「私はない」~「私」が少し残る
- 「覚醒体験」を悟りとしないこと
- 悟りをチェックするポイント~悟りと覚醒体験は違う
- 「輪廻が止む」とは?
- 「認識がいったん止む」とはすごいこと
- 「『禅の悟り』と『ブッダの悟り』は同じ」の意味
覚醒体験は素晴らしく貴重な体験です。けれども悟り・解脱ではないと考えられます。
3.「悟り体験」をよむ
ここでは『悟り体験をよむ』に出てくる事例をどう解釈するかを見ていきました。本書に掲載されている体験談は示唆に富んでいます。この手の書は、前例、類例が無いと思います。貴重な資料群ともいえ、この書は白眉かつ貴重な書であることもわかります。
悟り体験をよむ
- 修行が不明なのが多い
- 認識がいったん止むことが起きているかがわからない
- 50人近い体験の中で「本当に悟った」人は?
- 宋の時代に中国禅は変容する
- エネルギー体験
- 覚醒体験を引き起こす修行の仕方
- 坐禅、公案、宗教上のテーマを探求、内観(自己観察)、真我探求、
- 厳しい修行
- 白隠禅師の体験
- 山本玄峰老師の体験
真我とは何か?|ハイヤーセルフ・宇宙意識・内なる神など様々な表現を解説
【重要】用語の使い分けについて
このあたりは、言葉が混線しやすいところです。体験を説明する言葉がどういう意味なのかは大切です。
- 体験の特徴によって用語をおおよそ使い分けている
- 覚醒体験=一瞥体験=見性体験=真我体験(本当の自分)
- エネルギー体験、クンダリーニ体験、チャクラ体験、慈悲、ワンネス体験
【重要】覚醒体験がもたらす「知られざるリスク」
神秘体験や覚醒体験が持つダークサイドな面、落とし穴についてご説明。実践者が陥りやすいリスクにも言及しています。ここは反面教師になると思います。
- 平塚らいてうの奇行
- 苦行、厳しさ
- 善行、善の価値観、やわらかさ、慈悲の欠如
- エネルギーそのものには善悪がない。
- 体験者の性格、価値観によって違ってくる
- 河上肇、井上日召
- オウム事件の真相
- 昭和初期に起きた覚醒体験者によるテロ事件
- チャクラ、クンダリーニを意図的に開発するのは危険が多く間違いも多い
- 深山次郎「クンダリニーと統合失調症」
- 不浄な心、悪しき心のままエネルギーが開くと厄介なことに
- エネルギーは善との親和性が強い
- 自然にエネルギーが開花すると善性の大切がわかる
適切な歩みが欠かせないことが、これらの事例からわかります。
4.番外編:綱島梁川
綱島梁川は「悟り体験を読む」には紹介されていません。しかし明治期を代表する体験者ですので、講座では大きく取り上げています。
綱島梁川について
- 「悟り体験をよむ」に紹介されていない明治時代の覚者
- 覚醒体験をしやすい人の「5つの特徴」
- 「覚醒体験しやすい人の特徴」と原始仏教の修行
- 綱島梁川の歩みは「善行功徳」の道(追い込むやり方ではない)
- 綱島梁川は覚醒する前から洞察が深かった
5.神秘体験について
神秘体験がスピリチュアルに多い言い方ですが、まとめとして神秘体験について言及しました。
神秘体験
- 神秘体験は、覚醒体験ではない(悟り体験でないことを言うまでもない)
- 神秘体験はスピリチュアルに多い
- 神秘体験は、意識の変容は起きない
- 覚醒体験は、意識の変容が起きる
悟りは、神秘体験や覚醒体験、一瞥体験、見性体験、見神体験、聖霊体験とは異なることが、おわかりいただけたと思います。
一瞥体験・覚醒体験は悟りではない|体験の違いと見分け方を整理する
神秘体験とは異なる苦の根絶を目指す道

講座では以上のことを解説しました。
ザックリまとめますと、
(1)最初の1時間
- 昨年の原始仏教講座から「悟り」の復習
- 悟りとは?
- 原始仏教では煩悩の消滅にフォーカス
- 大乗仏教における悟りの階梯は自由と拡大にフォーカス。「私」を離れた菩薩の成長にフォーカス
- 心と意識の変遷のステップ
- 覚醒体験とは?
- 悟りとは?
(2)悟りと神秘体験との違い
- 認識の煩悩について(「私」の根絶、三結の根絶)
- 覚醒体験で起き得る「不完全な自我の消滅」
- 覚醒体験が起きる3つのパターン(苦行、善行功徳、生理的刺激)
このような内容になります。
仏教の解脱は、神秘体験とは異なる苦の根絶を目指す道ということがおわかりいただけたかと思います。
なお悟りと一瞥体験・覚醒体験・見性体験・見神体験との違いは、こちらでもまとめてあります。
一瞥体験・覚醒体験は悟りではない|体験の違いと見分け方を整理する
悟り・解脱がおすすめの理由|苦の根絶と一瞥体験・覚醒体験との違い
またこちらには、悟りの初門(預流果)の状態についてもまとめてあります。
悟り・神秘体験の引用先宗教など
講座で説明した「悟り・覚醒体験」の違いについては、以下の宗教や思想なども踏まえて見ています。
- 各宗教における悟り・解脱観
- ウパニシャッド
- 仏教(あるがまま。四聖諦、八正道。信解脱・慧解脱・倶分解脱)
- バガヴァット・ギーター(ギャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ)
- ヨーガ学派(ヨーガ・スートラ、八支則)
- サーンキャ学派(プルシャとプラクリティ)
- ヴェーダンタ学派
- ナータ派(ハタ・ヨガ)
- キリスト教神秘主義(暗夜(浄化)・照明(見神)・合一)
- グノーシス派(二元論)
- 新プラトン主義(イデア)
- 道教(神仙になる)
- 禅(頓悟、漸悟)
- 原始仏教の修行とヨーガの修行
- イーシュヴァラ(自在神)とは観音様
このように、講座では世界中の宗教をほぼすべて踏まえていると思います。これを踏まえて俯瞰的に説明しています。
また、
- 悟り、覚醒、禅定について
- 善行体験(実は大事な体験)
- 神秘体験、妄想体験の危うさ、スピリチュアルの問題
- 覚醒体験を解脱と勘違いする3000年の歴史
- スピリチュアルの危うさ
- 質疑応答~神秘体験と妄想、何故「気づき」が大切なのか?
- 何故「気づき」で覚醒体験が起きるのか?
このようなことをお話ししましてね。
この日の様子は動画に撮影して、YouTubeに限定公開しています。ご興味のある方は、有償になりますが動画のURLをお教えすることができます。テキストも付いています。
原始仏教の超然性の理由
それにしても、原始仏教(ブッダ)は、他の宗教の解脱や意識の有り様に対して「それは悟り・解脱ではない」と言って批判、否定します。
ちょっと前までは、「なんて傲慢なんだろう」「仏教は他の宗教や教えを否定して超然としているのは、新興宗教みたいだなあ」とか内心思っていましてね。
で、「仏教の悟り・解脱も、アドヴァイタや非二元、他の宗教と同じなんじゃないの?」なんて思うようにもなったものでした。
仏教の解脱は他の宗教とは違う

ところが、やはり仏教の悟り・解脱は、他の宗教や教えとはまったく違うことがわかりましてね。
で、何故、ブッダが、あのように超然としていたのかもわかります。
これは非常に大事なことであり、ここへの理解はものすごく大事なこともわかったものでした。やはり仏教は別格なわけですね。
で、昨日の講座は、こうしたことを軸にして、3000年前からの宗教や覚者、それと現代における覚者について、一通りご説明。
あと神秘体験や妄想、その危うさについてもお話ししました。
こうしたことを3時間近くお話しをしました。
実践ベースのお話しですので、言葉や概念を定義した上で説明する学術的なタイプとは異なりますが、生きた講座になったかと思います。

