ラルフ・ウォルドー・エマーソンとは何者か
「エマーソンの名言」でも知られるラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson、1803〜1882)。
エマーソンは、189世紀のアメリカを代表する思想家・文学者・詩人であり、哲学者とも呼ばれる人物です。今風にいえばスピリチュアリストでもあったといえます。

一昔前の昭和世代や年配の方には、エマーソンという名前はなじみ深いかもしれませんね。
エマーソンは1803年にボストンで生まれ、ハーバード大学を卒業後、ユニテリアン派の牧師となりました。
ちなみにハーバード大学はもともと、イギリスからアメリカに渡ってきたピューリタン(清教徒)たちがキリスト教の神学者・牧師を養成するために設立した大学です。
アメリカ建国当初に作られた大学の多くが、そうしたキリスト教的使命を持っていました。
エマーソンが生きた19世紀のハーバードは、リベラルな色彩が強く、知性を重んじたキリスト教のアプローチが顕著。
啓蒙主義や理神論(理性によって神を理解しようとする哲学的立場)の影響を強く受けており、エマーソンはそうした知的土壌の中で育っています。
ユニテリアン派とは何か|実はグノーシス的だった
エマーソンが所属したユニテリアン派(Unitarianism)は、当時としてはきわめて急進的な教義を唱えていたキリスト教・プロテスタントの一派でした。
キリスト教の主流派では「三位一体」、すなわち父なる神・子なるイエス・聖霊が一体であるという教義が根本とされています。
しかしユニテリアン派はこれをきっぱり突っぱねて、「存在するのは神のみである」という立場をとります。いわゆる汎神論という教義ですね。
ぶっちゃけ言うと、これはグノーシスなんですよ。グノーシス主義。
ユニテリアン派とグノーシス主義の類似性
グノーシス主義とは、古代から存在する霊的・神秘的な思想の流れで、唯一の神・霊的な真実への直接的な知(グノーシス)を重んじます。
しかしザックリわかりやすくいえば、グノーシスもイエスから教えを受けた一派で、「神の国はどこかにあるのではなく、汝らの心の中にもある」「内なる神を探せ」といった教えが伝承されています。
グノーシス主義を代表する福音書は「トマス福音書」であり、ここには新約聖書に伝承されている四福音書とは異なるイエスの言説が掲載されています。当然、三位一体説はありません(人間がこしらえた概念として一蹴するはずです)。
ユニテリアン派も、三位一体を否定し、神のみの存在を主張する立場。まさにこのグノーシス的な発想と重なります。
キリスト教はグノーシス主義へと立ち返る
ところで歴史的に見ると、キリスト教はそのグノーシスの方向へと先祖返りしていく流れが繰り返されています。
17世紀にクエーカー教を創始したジョージ・フォックスもそうです。ユニテリアン派もそうです。
結局のところ、人間の霊性が高まってくると、キリスト教のような観念や概念で構築された教義的な宗教に対して違和感を覚えるようになる。そうして本来の霊性の感覚へと立ち戻っていく——そういう流れが繰り返されるわけです。
汎神論としてのユニテリアン派の神観
また、ユニテリアン派の神のとらえかたは、ユダヤ教的な父性的・支配的・懲罰的な神ではなく、森羅万象に宿る遍在的な存在としています。
日本の神道やサムシング・グレートという感覚に近いものがあります。仏教の唯識思想の「一切衆生に仏性あり」と言われるとらえ方にも通じます。日本人にとってはすんなり受け入れられる感覚ですね。
けれどもマインドでガチガチになっている知識と概念から構築された、欧米の伝統的なキリスト教神学者からは「神への冒涜」として厳しく批判されます。
ユニテリアン派の神観は「汎神論だ!」と指摘されて、まるで悪魔の教えであるかのように受け止められてボコボコにされてしまう、というのがエマーソンの時代の現実でした。
こうしたグレートスピリッツ(大霊)が偏在しているというユニテリアン派のとらえ方は、ジョージ・フォックスの思想とも通じています。
フォックスは「内なる神・内なる光」を説きましたが、ユニテリアン派も同様です。しかもさらに進んで、神が森羅万象のすべてに宿るという考えを展開していきました。
エマーソン、牧師を辞める
エマーソンはユニテリアン派の牧師となりましたが、その後さらに急進的な方向へと進んでいきます。
聖書に記されたイエスの奇跡を否定し始めます。イエスの奇跡を否定するということは、キリスト教の根幹をなす「イエスの復活」すらも疑問視することを意味します。
さらにエマーソンは、神はすべての自然・万物の中に遍在するという汎神論的な思想を公言するようになりました。
伝統的なキリスト教の教義とは著しく相容れない主張によって、エマーソンは最終的に牧師を辞することになります。
1832年、エマーソンは牧師職を離れ、翌年ヨーロッパへ旅立ちます。
そこでカーライルやコールリッジといった思想家たちと交流し、帰国後は執筆・講演活動へと本格的に転じていきました。
超絶主義(トランセンデンタリズム)の旗手として
帰国したエマーソンは、1836年に『自然論(Nature)』を発表します。これがエマーソンの思想の出発点となる著作であり、「超絶主義(トランセンデンタリズム)」と呼ばれるアメリカ独自の思想運動の中心的テキストとなりました。
超絶主義の中心にあるのは、「人間の内側には神聖なものが宿っており、自然との直接的な交流を通じてそれに気づくことができる」という確信です。
これは今風にいえば、「人間の魂には『内なる神・光(真我、ハイヤーセルフ、宇宙意識)』が宿っていて、大自然と触れ合っている中で、それに気づくことができる」といったスピリチュアル的なメッセージでになります。
真我とは何か?|ハイヤーセルフ・宇宙意識・内なる神など様々な表現を解説
超越主義とはスピリチュアリズムなことがわかります。
ただ、エマーソンはハーバード大学を出ているインテリでもありましたので、スピリチュアル的な感性を知的な装いや文学的な「言語化」をしたものと考えられます。
当時のアメリカでは、エマーソンのとらえ方は斬新であり、理性よりも直観、制度よりも個人の内なる声を重んじる思想として、当時のアメリカ社会に大きな影響を与えるようになります。
エマーソンはその後も精力的に講演・執筆活動を続け、『自己信頼(Self-Reliance)』『オーバーソウル(The Over-Soul)』など、多くの重要なエッセイを発表しています。
エマーソンの「自己信頼」
エマーソンが繰り返し語ったテーマの一つが「自己信頼(Self-Reliance)」です。
これは単なる楽天主義や自分勝手、あるいは浅薄な自己肯定感ではなく、自分の内側に宿る神聖な声に従うことへの信頼を意味しています。
近年では、レイチェル・L. カーソンの「センス・オブ・ワンダー」でも同様のことが述べられています。ある種の普遍的な感性・感覚なのでしょう。
スピリチュアル的にいえば「真我的な感覚・ハイヤーセルフの声・宇宙意識の印象を大切にする」ということになります。
外部の権威や慣習に流されるのではなく、自分自身の直観と内なる声(確信)を信じて生きること——これがエマーソンの言う「自己信頼」の本質です。
この感覚は、何らかの形で神や真我に触れた人物に共通して見られるものでもあります。
それ故に、エマーソンも真我体験(梵我一如体験)をしていたのか?と思わせるものがありますが、エマーソンの体験については後述します。
エマーソンの「オーバーソウル」
また、エマーソンが提唱した「オーバーソウル(The Over-Soul)」という概念も言っています。
「オーバーソウル」とは、すべての個々の魂を超えた、宇宙的・普遍的な霊的存在を指す言葉で、グレートスピリット(大霊・大いなる霊)と同じになります。
つまり、真我、ハイヤーセルフ、宇宙意識などの高次意識と同じですね。
個々の人間の魂はすべてこのオーバーソウルの一部であり、そこに回帰していくとエマーソンは説いています。
エマーソンが目指したのは梵我一如
「オーバーソウル」は、本質的には「自己信頼」と根っ子が同じです。
真我、ハイヤーセルフ、宇宙意識、グレートスピリット(大霊)の表現が、「オーバーソウル」になるのか「自己信頼」になるのかの違いだけであって、表現の仕方はいわば記号。
大事なことは「自己信頼」「オーバーソウル」の根底にある「真我」の意識がわかるようになり、そうしてより深く開け、溶け込んでいくことになりますね。
エマーソンは、こうした大いなる意識に開け、溶け込み、究極的には「梵我一如」に至ることを示唆したかったこともわかります。
エマーソンは神秘体験をしていたのか
エマーソンが実際に高次意識体験・一瞥体験のような体験をしていたかどうかについては、正直なところ判断が難しいところです。
エマーソンは非常に優秀な人物であり、インドや中国の東洋思想にも深く触れていました。ヴェーダ哲学や老荘思想など、西洋では当時まだ珍しかった東洋の文献を幅広く読んでいたことが知られています。
そのため、体験として語っているのか、思想として語っているのか、文章だけでは判断しにくい部分があります。
エマーソンが神秘体験をしていたとという説もあるようですが、エマーソンが残した言葉と資料だけからの判断では、本質から外れた解釈になることもままあります。
エマーソンの体験はわかりにくい
私個人の感触としては、エマーソンは何らかの形で高次意識に触れる体験——一瞥体験、あるいはそれに近い神秘体験——をしていた可能性があるかもしれないと感じています。
実際、『自然論』を読む限りでは、その体験が直接的に伝わってくるかというと、分かりにくい。
しかし思想全体に流れるものを見ると、単なる知的操作だけでは生まれにくい何か——深いところから湧き出るような確信、神への実感のようなもの——が感じられるんですね。
けれども微妙なものも感じさせます。考え、思考で構築した感触も受けるからなんですね。
ですので、もし真我的な意識に開けていたとしても、それは浅かった・弱かったように思います。
あるいは、比較的多いアストラル界的な体験(変性意識、神秘体験)が混在している可能性もあります。
それと、インドや中国といった東洋思想に触れることで、エマーソンが洞察した思想が含まれているのは、間違いないと思います。
結局、エマーソンは、書籍を読んだ洞察が元になっていて、これに多少の高次意識体験があったのかもしれない?というのが私の所感になります。
体験を読み解くのは難しい
こうした体験を正確に読み解くのは難しいところがあります。
解析する考察者自身が、どのような体験を持ち、どのような感性でエマーソンを読んでいるかが重要になるからです。
言葉と資料だけをこねくり回して論じると、本質から外れた解釈になりやすい。
そういう意味では、エマーソンに限らず、神秘体験をめぐる議論は、読む側・理解する側の感性も問われるテーマになりますね。
アメリカ思想史における特異な存在
エマーソンが登場した頃とほぼ同じ時期に、アメリカには天才スピリチュアリスト「アンドリュー・ジャクソン・デービス(Andrew Jackson Davis)」が登場します。
19世紀半ばのアメリカやヨーロッパは、キリスト教に代わる新しい潮流が産声を上げようとしていました。
超絶主義とした語られるエマーソンですが、言っていることは現在のスピリチュアルとそう変わりがありません。
エマーソンはアメリカの宗教史・思想史において、きわめて特異な存在です。
牧師でありながら既存のキリスト教を超え出て、東洋思想や汎神論的な世界観を取り入れ、独自の思想体系を打ち立てた。
スピリチュアルな文脈でも語られる人物でありながら、社会改革や人間の知性・霊性の向上に向けた実践的な問題意識を持ち続けた。
その後のアメリカ文化に与えた影響は計り知れません。
ソロー、ホイットマンをはじめとする多くの思想家・文学者がエマーソンの影響を受けており、20世紀のアメリカ文化の底流にもエマーソンの思想は脈々と流れています。
以前お話しした新渡戸稲造さんもまた、19世紀後半に一瞥体験をした人物です。エマーソンもまた、何らかの体験をしていた可能性がありそう——私はそう見ています。
思想家や宗教者の言葉を読むとき、その人物が実際に何を体験し、何を感じていたのかという視点を持つこと——それが言葉の奥にある本質を見抜く上で大切なことだと思います。
プレゼンスとは?|真我(本当の自分)という高次意識への入り口
エマーソンの名言10選(出典付き・確認済み)
ラルフ・ウォルドー・エマーソンの名言10選として選んでみました。
後述しますが、エマーソンの名言でない言葉も流布していますので、この記事では、確認済みの「出典」も付けています。正真正銘のエマーソンの言葉だけをご紹介しています。
また名言を年代順に並べていますので、エマーソンの思想の変遷もわかると思います。

① 自然と魂について
“Nature always wears the colors of the spirit.”
「自然はつねに、魂の色をまとっている。」
出典: 『自然論(Nature)』第1章、1836年
エマーソンのデビュー作であり超絶主義を世間に宣言した書『自然論』の冒頭部分にある言葉です。
外の世界は内なる心の状態を映し出す鏡であるという、エマーソンの自然観の本質を示した言葉ですね。
② あらゆる季節の喜び
“Not the sun or summer alone, but every hour and season yields its tribute of delight.”
「太陽や夏だけでなく、あらゆる時間と季節が、喜びの貢物をもたらしてくれる。」
出典: 『自然論(Nature and Selected Essays)』所収
特定の季節や時間だけでなく、人生のあらゆる瞬間に喜びが宿っているというエマーソンの自然観・人生観を示した言葉です。
③ 人格と知性について
“Character is higher than intellect. A great soul will be strong to live as well as think.”
「人格は知性よりも高い。偉大な魂は、考えるのと同じくらい、強く生きようとする。」
出典: 『アメリカの学者(The American Scholar)』、1837年講演
いくら頭が良くても、人格が伴わなければ本当の意味で偉大とはいえないというエマーソンの信念です。
知識を積むことより、誠実に・善く・勇敢に生きることを重んじたエマーソンらしい言葉ですね。
④ 自己信頼について
“Trust thyself: every heart vibrates to that iron string.”
「自分を信頼せよ。すべての心は、その鉄の弦に共鳴する。」
出典: 『自己信頼(Self-Reliance)』、1841年、Essays: First Series 所収
エマーソンの思想の核心をひと言で表した有名な言葉ですね。「鉄の弦」とは、自分の内側に流れる揺るぎない声のこと。
外部の権威や他人の評価ではなく、自分の内なる確信を信じて生きることこそが「自己信頼」だとエマーソンは説いています。
⑤ 偉大さと誤解について
“To be great is to be misunderstood.”
「偉大であるとは、誤解されることである。」
出典: 『自己信頼(Self-Reliance)』、1841年、Essays: First Series 所収
ピタゴラス、ソクラテス、イエス、コペルニクス、ガリレオ、ニュートン——エマーソンはこれらの名を挙げながら、真に偉大な魂はつねに時代に誤解されると語ります。
自分の信念を貫くことへの力強い励ましの言葉ですね。
⑥ 一貫性のおろかさについて
“A foolish consistency is the hobgoblin of little minds, adored by little statesmen and philosophers and divines.”
「愚かな一貫性は、小さな政治家や哲学者、聖職者が崇め奉る、小さな心の悪霊である。」
出典: 『自己信頼(Self-Reliance)』、1841年、Essays: First Series 所収
世間体や過去の言動に縛られて考えを変えることを恐れることを「愚かな一貫性」と呼び、痛烈に批判した言葉です。
真に偉大な魂は、過去の自分に縛られず、今この瞬間の真実に従う、というエマーソンの主張が込められていますね。
⑦ 恐れることを行え
“Always do what you are afraid to do.”
「いつも、恐れることをせよ。」
出典: 『英雄主義(Heroism)』、1841年、Essays: First Series 所収
恐怖を感じることをあえて実行することで、恐怖そのものが消えるというエマーソンの勇気論の核心を示す言葉です。
なおエマーソン自身は「ある若者に与えられた言葉として聞いた」と断って紹介しており、エマーソン自身が、自分の言葉として述べたわけではないといわれています。
⑧ 人生と実験について
“All life is an experiment. The more experiments you make the better.”
「人生はすべて実験である。実験すればするほど、よりよくなる。」
出典: エマーソンの日記(Journals)、1842年
失敗を恐れず試み続けることへの肯定。正解のない道を自ら切り開いていくことを良しとしたエマーソンの姿勢が表れています。
完璧を求めるよりも、まず動き出すことの大切さを語っています。至言ですね。
⑨ 恐怖の源
“Fear always springs from ignorance.”
「恐怖はつねに無知から生まれる。」
出典: 『自然論・講演集(Nature, Addresses, and Lectures)』所収
知らないから恐れる、知ることで恐怖は消えるというエマーソンの洞察を示す言葉です。
⑩ 富と健康について
“The first wealth is health.”
「最初の富は健康である。」
出典: 『農業(Farming)』、Society and Solitude(1870年)所収
物質的な豊かさよりも身体と心の健康こそが真の豊かさの土台だという言葉。
シンプルながら、エマーソンが自然と人間の本来のあり方を重んじた思想と一致しています。
スピリチュアルに関するエマーソンの名言12選(出典付き・確認済み)
エマーソンは、東洋思想のみならず、人間の心や魂の深い領域に関心を持っていました。
エマーソンが在世していた当時、1848年にアメリカで『スピリチュアリズム』が勃興。その先駆者であったアンドリュー・ジャクソン・デービス(Andrew Jackson Davis)にも関心を示していたという考察もあります。
もっとも、ハイヤーセルフや宇宙意識といった「宇宙の根源意識」を実感していたアンドリュー・ジャクソン・デービスや、リチャード・モーリス・バックらとは異なり、エマーソンは文献に基づく考察や一般的な変性意識体験(神秘体験、アストラル界体験)だった可能性もあります。
エマーソン自身が真我(ハイヤーセルフ)にひらけていたかどうかは微妙なものも感じさせます。真我的な意識に開けていたとしても、それは弱かったように思います。
あるいは、東洋思想や宇宙意識体験者の著書を通して、エマーソンが洞察していた可能性もあります。
それにしても、アメリカ人の天才スピリチュアリスト「アンドリュー・ジャクソン・デービス」は1845年から高次意識に基づく筆記を始めていますが、エマーソンもほぼ同時期(1841年)頃から精力的にスピリチュアル的な発言をしています。
シンクロニシティを彷彿とさせます。
以下は、エマーソンが残したスピリチュアルに関する名言です。
① 透明な眼球
“I become a transparent eye-ball.”
「私は透明な眼球になる。」
出典: 『自然論(Nature)』(1836年)
エマーソンの『自然論』そのものがスピリチュアル的ですが、この書には、エマーソンの神秘体験を表した有名な一節があり、この言葉がそれです。
自我が薄れ、ただ見ている純粋な意識の状態になるという、自己が自然の中で消え、大いなる存在と溶け合う感覚を描写しています。
ただし、この体験が、ハイヤーセルフ(真我)的な体験なのか微妙なところもありそうです。一般的な変性意識体験(神秘体験、アストラル界体験)の可能性があります。
エマーソンは、頭の良い方でしたので、物真似も上手にできた可能性もあり、文章だけでは、エマーソンが実際に、どれだけ真我意識に開け、溶け込んでいたのかはわかりません。
② 宇宙的存在の流れ
“The currents of the Universal Being circulate through me.”
「宇宙的存在の流れが、私の中を巡っている。」
出典: 『自然論(Nature)』(1836年)
「透明な眼球」の一節と同じ箇所に登場する言葉です。
個人がより大きな宇宙的存在とつながっている、というエマーソンらしい感覚が凝縮されています。
③ この世界で価値あるものは生きて働く魂
“The one thing in the world, of value, is the active soul.”
「この世界で価値あるものは、生きて働く魂である。」
出典: 『アメリカの学者(The American Scholar)』(1837年)
精神や魂の目覚めを、エマーソンは人間にとっての最高の価値として位置づけていました。
知識の蓄積よりも、魂が生きて動いていること——それが真の学びだという考察が込められています。
④ 沈黙と神について
“Let us be silent, that we may hear the whispers of the gods.”
「沈黙しよう。そうすれば、神々のささやきが聞こえてくるだろう。」
出典: 『文学の倫理(Literary Ethics)』、1838年講演
神の声は外から与えられるものではなく、静寂の中で内側から聴こえてくるものだというエマーソンの言葉。
東洋の瞑想思想にも通じるものがあります。東洋思想などの著書に基づいて語った可能性もあります。
⑤ ひとつの心があらゆるところで働く
“One mind is everywhere active.”
「ひとつの心が、あらゆるところで働いている。」
出典: 『神学部講演(Divinity School Address)』(1838年)
個人の思考を超えた普遍的な精神の働きを語る一節です。すべての人の内に、そして自然の中に、ひとつの普遍的な心が活動しているというエマーソンの根本的な世界観が表れています。
⑥ 現在を生きることについて
“With the past, I have nothing to do; nor with the future. I live now.”
「過去とは関わりがない。未来ともない。私はいま、生きている。」
出典: エマーソンの日記(Journals)、1839年
過去への後悔や未来への不安ではなく、今この瞬間に完全に存在すること——これはエマーソンの超絶主義思想の根底にある感覚です。東洋の瞑想思想に影響を受けていると思います。
⑦ オーバーソウルと内なる神について
“Within man is the soul of the whole; the wise silence; the universal beauty, to which every part and particle is equally related; the eternal ONE.”
「人間の内には、全体の魂がある。賢明な沈黙、あまねく美、すべての部分と粒子が等しく関係する永遠の一者がある。」
出典: 『オーバーソウル(The Over-Soul)』、1841年、Essays: First Series 所収
エマーソンの霊的思想の核心をなす概念「オーバーソウル」を語った言葉。
人間の内面に、宇宙的・普遍的な根源が宿っているという発想を示した言葉です。エマーソンのオーバーソウル論の核心をひと言で表しています。
すべての個々の魂を超えた普遍的な霊的存在が「人間の内に宿っている」というとらえ方は、エマーソンの思想においては通底しています。
ここではそれを「オーバーソウル」といっています。別のところでは「自己信頼」といっています。
エマーソンは、ニューソート、ユニテリアン協会の思想、大乗仏教の仏性などから影響を受けていたと思われます。
⑧ 人は源が隠された流れ
“Man is a stream whose source is hidden.”
「人は、その源が隠されている流れである。」
出典: 『オーバーソウル(The Over-Soul)』(1841年)、Essays: First Series 所収
自我の奥に、目に見えない根源があるという感覚を示しています。人間の意識の底には、通常の知覚では捉えられない大いなる何かが流れているというエマーソンの思想です。
⑨ 祈りとは最も高い視点から観ること
“Prayer is the contemplation of the facts of life from the highest point of view.”
「祈りとは、人生の事実を最も高い視点から観ることである。」
出典: 『祈り(Prayer)』(1841年)
祈りを単なる願望成就の手段としてではなく、意識の高さとして捉えている言葉です。最も高い視点に立つとき、人生の事実がありのままに見えてくる——そこに祈りの本質があるとエマーソンは説きました。
⑩ 啓示とは魂が開示されること
“Revelation is the disclosure of the soul.”
「啓示とは、魂がみずからを開示することである。」
出典: 『祈り(Prayer)』(1841年)
真理は外から与えられるだけでなく、魂の内側から開かれるという考えを示した言葉です。制度的な宗教による啓示ではなく、各自の魂の目覚めそのものが啓示であるというエマーソンの立場が端的に表れています。
⑪ すべての人は同じものへの入口
“Every man is an inlet to the same.”
「すべての人は、同じ大いなるものへの入口である。」
出典: 『歴史(History)』(1841年)、Essays: First Series 所収
人それぞれ別々に見えても、根底では同じ源につながっているという意味です。個の多様性を認めながら、すべての人間の内側に共通する普遍的な魂の存在を示しています。
⑫ 自然の中心には魂がある
“There is a soul at the centre of nature.”
「自然の中心には魂がある。」
出典: 『霊的な法則(Spiritual Laws)』(1841年)、Essays: First Series 所収
自然を単なる物質としてではなく、霊的な中心を持つものとして見ているエマーソンの自然観を示した言葉です。自然の美しさや法則の背後に、生きた魂のような何かが働いているという感覚です。
エマーソンの言葉ではない5選【誤り・出典未確認の言葉】
以下の言葉はエマーソンの名言として広く知られていますが、出典の確認ができないか、誤って流布していることが調査で判明しています。
エマーソンの著作に存在しないことが確認されている代表的な言葉を5選ご紹介します。
どんなに暗くても星が見える
“When it is dark enough, you can see the stars.”
「どんなに暗くても、星を見ることができる。」
この言葉はエマーソンの著作には存在しないことが確認されています。
元はトーマス・カーライルの言葉(「暗くなれば、永遠の星々が輝き出す」)が起源とされています。
歴史家チャールズ・A・ビアードが講演でこの表現を使い、カーライルの言葉として紹介していました。
エマーソンへの帰属が最初に確認されるのは1956年のことで、それ以前にはエマーソンとの関連は存在しません。
→ トーマス・カーライルの言葉の可能性が高く、エマーソンの言葉とすることは微妙です。
幸福は香水のようなもの
“Happiness is a perfume you cannot pour on others without getting some on yourself.”
「幸福は香水のようなもので、他人に注いでやると、自分にも少しかかる。」
エマーソンの名言として広く流通していますが、エマーソンの著作のどこにも出典が確認できていません。
この言葉が最初に文字として現れるのは1856年のイギリスの雑誌『パンチ』で、作者不明の匿名の文章として掲載されていました。
エマーソンの言葉として広まったのは1927年以降であり、裏付けとなる一次資料は存在しません。
→ エマーソンの言葉である可能性は低く、出典不明の名言です。
道なき道を行き、足跡を残せ
“Do not go where the path may lead, go instead where there is no path and leave a trail.”
「道のあるところを行くな。道なきところへ行き、足跡を残せ。」
この言葉はエマーソンの著作には存在しないことが確認されています。
実際の出典は、Muriel Strode(ミューリエル・ストロード) の1903年の詩であることがわかっています。
インターネット上ではエマーソンの名言として広く流布していますが、エマーソン本人の言葉ではありません。
→ ミューリエル・ストロードの詩です。エマーソンの名言ではありません。
美は神の筆跡
“Beauty is God’s handwriting.”
「美は神の筆跡である。」
この言葉はエマーソンの言葉ではないことが確認されています。
実際の出典は、イギリスのチャールズ・キングズリー(Charles Kingsley)の1848年の言葉です。
簡潔で印象的なためエマーソンの名言として紹介されることがありますが、エマーソンの著作には存在しません。
→ チャールズ・キングズリーの言葉です。エマーソンの名言ではありません。
自分自身であり続けることは、最大の達成である。
“To be yourself in a world that is constantly trying to make you something else is the greatest accomplishment.”
「絶えずあなたを別のものにしようとする世界の中で、自分自身であり続けることは、最大の達成である。」
この言葉はエマーソンの名言として非常に有名ですが、出典は不明です。
少なくとも、エマーソンの著作の中にこの形の文言が確認できないことがわかっています。
そのため、エマーソン本人の言葉として断定して用いることはできません。
→ エマーソンの名言というには疑問があります。
