瞑想で徳・善の感覚がわかる|リラックスが大切な理由

リラックスから善・徳の意識がわかるようになる

瞑想において、リラックスが大切なのは理由があります。

答えを最初に言いますと、リラックスには「善」「徳」の感覚があり、リラックスから善や徳がわかるようになり、ひいては真我、ハイヤーセルフ、ワンネス、宇宙意識といった至高意識へと開かれていくからなんですね。

実際、リラックスには、あたたかさ、やわらかさ、やさしさ、心地よさ、微笑ましさ、ユルさな感じ、伸び伸びとした感じ、自由さ、落ち着き、安定感、あるいは凛(りん)とした感じなどがあり、これらが渾然一体となって感じられます。

つまり、リラックスは単なる準備ではなく、瞑想の中身そのものに関わっているんですね。

しかも、真我、ハイヤーセルフ、ワンネスとった高次意識へと進んで行くきっかけになります。

瞑想時のリラックスが善・徳の感覚

ですので、瞑想時のリラックス感ーーあたたかさ、やわらかさ、やさしさ、心地よさ、自由さ、落ち着き、安定感--が深まっていくと、単に「気持ちいい」という話では終わらなくなってきます。

もっと本質的なよさがわかるようになってきます。

で、これが「徳」「善」です。

この感覚を、古来より「徳」「善」といっていました。

そう、リラックスは徳や善の感覚と同じなので、大切なわけなんですね。

言い換えれば、リラックスが深まることで、善いとはどういうことか、徳とはどういう感じかが、頭ではなく体感としてわかってくるわけです。

瞑想のリラックスにはさまざまな側面があります。体感的な気持ちよさについては瞑想で気持ちいい理由も参考になります。

リラックスには徳・善の感覚が含まれている

ここでいう徳や善は、もっと根本的な意識の有り様、命が自然によく働いている感じ、心が整っている感じ、無理がなく健やかな感じです。

あたたかく、やわらかく、落ち着いていて、スッキリしていて、凛(りん)としている。そうした感覚が渾然一体となった意識が、徳や善だったりします。

瞑想でリラックスが深まっていくと、徳や善が何であるかも、言葉ではなく感覚としてわかってくるようになります。

瞑想で徳・善の感覚がわかるようになる

実際、こうしたリラックスの感覚に基づいた考え、言葉、行動が、徳行・善行というものの本質になります。

リラックスすることは大切でして、リラックスは徳・善にも通じていきます。

また真我、神といわれる感覚にも通じていきます。

ここでいう徳や善は、いわゆる表面的な道徳や、ルールを守るといった意味だけではありません。もっと根本的な、命が自然によく働いている感じ、心が調和している感じ、無理がなく健やかな感じです。

で、気づき(見守る、感じる)力が適切に高まるにしたがって、リラックスの中に、これらの成分があることがわかるようになってもきます。

こうしたことを、これまた古来から「徳がわかるようになる」「善がわかるようになる」ともいっています。

だからこそ、瞑想を通じてリラックスが深まり、気づきが育ってくると、「ああ、こういう感じが善なのか」「こういうあり方が徳なのか」と、だんだんわかるようになってきます。

以上のことは、こちらの動画でくわしくご説明しています。

リラックスは単なる準備ではない

ここを誤解すると、瞑想が浅くなりやすいです。

リラックスは、瞑想を始める前に整えるための準備運動ではないんですね。

リラックスは、瞑想を始める前の入口でもありますが、それだけで終わりません。

というのも、リラックスそのものの中に、やさしさ、あたたかさ、安定感、ほっこり感、やわらかさといった大事なエッセンスが含まれているからなんですね。

リラックスは土台であると同時に、瞑想の中身そのものになってまいります。

徳や善は表面的な道徳とは違う

ちなみに誤解されてはいけませんので補足しますが、ここで言っている善や徳が体感的といっても、社会規範として理解されている「道徳」「ルール」が不要と言いたいわけではないんですね。

けれども、本当の意味での徳や善は、知識や観念で文言化された社会通念や社会規範ではないということです。表面的な道徳や、単なる社会規範ではありません。

心や命が自然に作動している状態。そこから生じてくる考え方、言葉づかい、行動。そうしたものが、本来の徳や善になります。

命が自然によく働いている感じが徳・善

命が自然によく動いていると、無理は少なくなります。ナチュラルになってまいります。

ですので善人ぶるわけでもなく、仮面をかぶって模範的な人になったり、正義を振りかざして正論を言うことはしなくなります。

というか、こういうのは違和感がありすぎてできなくなります。

けれどもやわらかく、あたたかく、落ち着いています。

その自然なあり方が、徳や善を示しています。

瞑想では、こうした善や徳の感覚がわかってくるようになります。

瞑想の知られざる効果でもありますし、ストレートに反映されますので、瞑想も日常も変わってまいります。

徳・善にかなった瞑想は奥が深い

お伝えしている瞑想は、徳・善に則った瞑想で、ここからさまざまな恩恵が生じ、能力も出てくるようになります。

大変奥が深く、道にかなった実践になっています。

この瞑想は、ただリラックスして終わり、ただ気持ちよくなって終わり、というものではありません。リラックスを土台にしながら、気づきが育ち、さらに徳・善の感覚へとつながっていく。そこに深さがあります。

ですから、表面的にはやさしい瞑想に見えても、中身はかなり本質的です。無理に厳しくする必要はありませんが、だからといって浅いわけでもありません。

ちなみに徳や善とは、いわゆる道徳のような教えや、ルールや規律とはちょっと違います。

もちろん、初めての人には、こうした文言化された説明も必要になります。が、文言化されたいわゆる道徳は、本当の意味での徳や善ではないんですね。

気持ちよさだけで終わらない

瞑想でリラックスできると、それだけでもありがたいことですね。

けれども、お伝えしている瞑想は、その心地よさや、やわらかさの中に、さらに深い意味があります。

徳・善の感覚がわかるようになり、心の質そのものが変わっていく。これが大切なんですね。

やさしいが浅くはない

この瞑想は、見た目にはやさしいです。ゆるりとしていて、頑張りすぎません。

ですので、人によっては「やさしい瞑想だから浅いのでは」と思うかもしれません。

ですが、実際には逆です。

本当にやさしく、やわらかく、自然に行う瞑想ほど、深いところに触れていきます。

そこに本質があります。

体感として善がわかるようになる

このことは知識や理解ではわかりません。

本を読んで、善とはこういうものだ、徳とはこういうものだというのは「観念」では理解できます。

けれども、それはどこまでも理解の善、観念の徳、ルール、べからずとしての社会通念なんですね。

それは本当の意味での善ではありません。徳ではありません。

実際にリラックスが深まり、やさしさや安定感、あたたかさが自分の中で育まれることで、はじめて理解することができる性質です。

瞑想ではリラックスが大切

瞑想で大事なことは、常々お伝えしている通りでして、

  • 1.リラックス(やさしく)
  • 2.気づく(見守る、感じる)

この2つになります。

「リラックス」「気づく(見守る・感じる)」

この2つが両輪になります。

瞑想というと、集中すること、雑念をなくすこと、あるいは無になることが大事だと思われがちです。

けれども実際には、その前提としてかなり大切なのがリラックスなんですね。

リラックスがないまま気づこうとしても、心や身体がこわばり、見ているつもりで実際には固くなりやすいからです。

瞑想では、力んで頑張るよりも、やさしくゆるみながら見守ることが大事です。そこに気づきも育ちますし、さらに深い意味では、徳や善といわれる感覚もわかるようになってきます。

「あるがまま」とリラックスの関係についてはリラックスとあるがままの関係で詳しく解説しています。

精進とはリラックスして続けること

大事なことは「続けること」
続けることを、昔から「精進」といっています。

精進とは、ど根性で修行することではなく、徳・善にかなったやり方で続けることを意味しています。

わかりやすくいえば、リラックスして続けることなんですね。ゆるっと。

続けることが大切なのは、一回や二回で全部わかるわけではないからです。リラックスの中にあるやさしさ、あたたかさ、安定感、そして徳や善の感覚も、続けていく中で少しずつわかってきます。

だから精進とは、力んで無理を重ねることではなく、よい方向で続けることです。リラックスしながら、自然に、ゆるやかに、それでもきちんと続けていく。これが大事なんですね。

大事な心得にもなりますね^^

ぜひぜひ、ゆるりと精進してまいりましょう!

瞑想は続けることが最も大事|続かない理由と続けるコツ

精進はど根性ではない

なお精進というと、歯を食いしばって頑張ること、無理をしてでもやり続けることのように思われることがあります。

けれども、そうではないんですね。

お伝えしている瞑想でいう精進は、ゆるりと行うことですね。

で、これが徳・善にかなったやり方で続けることになります。無理を重ねるのではなく、よい感じを土台にしながら続けていくことです。

よい方向で続けることが大切

ちなみに、漫然と、ただ続ければいいわけでもないんですね。

力みながら、固くなりながら、苦しみながら続けるのは、方向がズレてしまいます。

リラックスしながら、やわらかく、自然に、けれども地道に続ける。その「よい方向で続ける」ことが大切になります。

ゆるりと続ける中でわかってくる

一回や二回で全部がわかるわけではありません。けれども、続けていく中で少しずつわかってきます。

リラックスの中にあるやさしさ、あたたかさ、安定感。そこに含まれている徳や善の感覚。

それらは、ゆるりと続けていく中で、だんだん体感としてわかってきます。

焦らず、無理をせず、ゆるっと精進していくことが大切になりますね!

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