2種類の気づきがあることを知る
サティ・気づきには2種類ありますね。
・「気づき」が集中となるやり方・・・カニカ・サマディ
・気づきが脱落していくやり方・・・あるがまま
この2種類です。
私は後者の「脱落していくやり方」をおすすめしています。
つまり「気づき」は自然になって、「あるがまま」となるやり方です。
ちなみに気づきが脱落する(自然になる)というのは、ルアンポーティアン派のスティサート師も言われています。
気づきの瞑想ができない原因
で、この気づき・サティなんですが、「気づきがうまくできない」という話しを聞くことがあります。そういった場合、
◆思い・観念・言葉・感情・妄想に「ベッタリ」になっている
◆五感からの情報に対して、思い・観念・言葉・感情・妄想といった「理解・解釈・判断」を必ず(強く)入れて受け止めている
この、どちらかか両方に陥っていることが多いと感じています。
実のところ、気づきの瞑想では、このどちらかか両方に気づく(自覚する)ことが、人によっては非常に重要になります。
「気づき」が理解・解釈になっている
特に「思い・観念・言葉・感情・妄想を通して理解・解釈・判断して強く受け止める」というのは、現代人に多い認知のクセですね。
「見たもの、聞いたもの、味など」を必ず理解・解釈して強く受け止めてしまう。
こうしたクセに気づき、ゆるんでくるのが「気づきの瞑想」になるんですが、その「気づき」自体が、「理解・解釈の気づき」になっていることがあります。
もし、こうした認知の仕方でありますと、実は、気づきの瞑想が「よくわからない」ということになってしまいます。
瞑想上の盲点に気づくことも大切
で、ここが盲点となっているため、いくら気づきの瞑想をしても、「サッパリわからない」「瞑想が進まない」ということも起きている感じも受けます。
いえ、そもそもここに書いたことが「どういうことなのかわからない」となることも。それくらい認知のクセに「気づかない」ことが多かったりします。
上記のは一例になりますが、瞑想には、こうした盲点や落とし穴がほかにもあります。
で、各人によって違ってもいますので、個別対応をしてお話しを聞いたりして、アドバイスをするのが望ましいかと思っています。
瞑想がうまくできない、本当にこれでいいのかなど疑問を持っている方には、個別にアドバイスもしています。
ご希望の方は、こちらからご連絡ください。 小林紀生