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- 人は死んだらどうなるのか——この問いへの答えを求めて
- 死期が近づくとき——霊眼が察知するもの
- 死んだらどうなるのか——透視者が実際に観察した死の過程
- 死の瞬間、肉体と魂(霊体)は最後まで結びつきを保とうとする
- 死後、意識(魂)はどこへ向かうのか——頭部への霊的エネルギーの集中
- 霊体(幽体)が肉体から分離し始めるプロセス
- 死後の霊体(魂)はどのようにして形づくられるのか
- 霊体(魂)は全身へと広がり完全な形を整えていく
- 苦痛に見えるものは魂(意識)の分離の反応にすぎない
- 霊体(魂)と肉体をつなぐ「銀の紐」——死後に切れるへその緒
- 臨死体験・仮死・蘇生の背後にある霊的なしくみ
- 死後の霊体(魂)は健康で美しく、記憶・個性・意識はそのまま保持される
- 死後の意識(魂)は家族の悲しみをどう見ているのか
- 死は苦しみではない——霊界への第二の誕生として理解する
- 死に方によって魂(霊体)の旅立ちは変わるのか
- デイヴィス自身の幽体離脱体験——死のプロセスは毎日実証されていた
- 死後二時間半にわたる魂(霊体)の動き
- 霊体(魂)は迎えに来た二人とともに死後の世界(霊界)へ去っていった
- 肉体とは魂が脱ぎ去った抜け殻——蝶と毛虫の比喩が示すもの
- 臨死体験との共通点——現代の証言が裏づけるもの
- まとめ——人は死んだらどうなるのか
人は死んだらどうなるのか——この問いへの答えを求めて
「人は死んだらどうなるのか」——これは人類が古来から問い続けてきた、最も根源的な問いの一つです。
宗教はそれぞれの答えを持っています。仏教は輪廻転生を、キリスト教は天国と地獄を、神道は霊界での存続を説きます。
しかし多くの場合、それらは信仰に基づく教義であり、「実際に見た者の記録」ではありません。
この記事で紹介するのは、19世紀アメリカの透視者であり霊能者であったアンドリュー・ジャクソン・デイヴィスが、実際に死の瞬間を霊視観察した記録です。

デイヴィスは霊視能力によって霊体(魂)が肉体から分離していく過程を詳細に観察し、その記録を、今から約180年前に書かれた著書『大調和(The Great Harmonia)-第1巻:The Physician(医師)』(1850〜61年)に残しています。
「死んだらどうなるのか」という問いに対して、デイヴィスの記録が示す答えは一貫しています。
死は終わりではなく、霊界への第二の誕生である——と。
アンドリュー・ジャクソン・デイヴィスとは|近代スピリチュアリズムの先駆者・透視者・ハーモニアル哲学をわかりやすく解説
死期が近づくとき——霊眼が察知するもの
六十歳くらいの女性。症状としては、元気がない。十二指腸が弱っている。何を食べてもおいしくない。痛みや苦しさはない。
霊能力によって診察した結果、デイヴィスはこの女性が癌性の病気で亡くなると直感しました。
もっとも、それが八ヵ月後だとまでは分かりませんでした。霊感によって地上の時間や空間を正確に測ることはできないからです。ただ、魂(意識)が肉体から離れる時期が急速に近づきつつあることは確信しました。
死んだらどうなるのか——透視者が実際に観察した死の過程
いよいよ死期が近づいたとき、デイヴィスは幸いにも身心ともに入神しやすい状態にありました。
ただし、入神して霊的観察をするには、入神中の身体を他人に見つからないようにしなければなりません。
そこで人から見られない場所を見つけ、魂(霊体・意識)が肉体から分離していく過程と、その直後の変化などの観察を行いました。
その結果は次のようなものでした。
死の瞬間、肉体と魂(霊体)は最後まで結びつきを保とうとする
もはや肉体の各器官は、魂(霊体)がまとめることができなくなっていました。
しかし同時に、各器官は魂(意識)が去ろうとするのを食い止めようとしていました。
筋肉組織は運動機能をキープしようとし、血管やリンパ管などの導管系統は生命素を保持しようとしていました。
神経系統は感覚を、脳組織は知性・意識を維持しようと懸命になっています。
つまり肉体と霊体(魂)とは、友人同士のように互いに協力し合いつつも、両者を引き裂く力に抵抗しているのです。
その葛藤が、肉体上にはあの痛ましい死のあがきとなって現れます。
しかし、それは実際には苦痛でも不幸でもありません。ただ魂(霊体)が、肉体との協同作業を一つ一つ解消していく反応にすぎないのです。
死にゆく姿を見ていると、喜びと感謝の念が湧き出てきました。死は崇高であり喜びなのです。
死後、意識(魂)はどこへ向かうのか——頭部への霊的エネルギーの集中
やがて頭部が急に、きめ細かく柔らかいやわらかい光に包まれました。
するとたちまち、大脳と小脳の奥にある内部組織(視床)が広がり始めました。大脳も小脳も、通常の機能を停止しつつあります。
ところがその一方で、全身に行き渡っていた生体電気と生体磁気(気・エネルギー)が、大脳と小脳にどんどん送り込まれてきます。
言いかえれば、脳全体が普段の十倍も明るさを増してきたのです。これは肉体の崩壊に先立って、必ず見られる現象です。
ついに死の過程——すなわち魂(霊体・意識)と肉体の分離の現象が始まりました。
脳は、全身の電気と磁気、運動と生気と感覚の原素(気・エネルギー)を吸収し始め、頭部は輝かんばかりに明るくなってきました。
霊体(幽体)が肉体から分離し始めるプロセス
その明るさは、他の身体部分が暗く冷たくなっていくのに比例していました。そして続いて、驚くべき現象が起きます。
頭部を包む柔らかくきめ細かな光輝く霊気の中に、もう一つの頭——霊体(幽体)の頭部がくっきりと形を現し始めたのです。
念のために言っておくと、こうした超常現象は、霊能力がなければ見ることはできません。
肉眼に映るのは物質だけ。霊体(幽体・魂)の姿が見えるのは霊眼だけです。それが大自然の法則なのです。
さて、その新しい頭の形はしだいにはっきりしてきました。
大きさは小さいですが、いかにも中身がぎっしり詰まっている感じで、まばゆいほど輝いていました。
あまりにも眩しいためデイヴィスは、その内部を透視することも、じっと見つめていることすらできなくなりました。
死後の霊体(魂)はどのようにして形づくられるのか
この霊体(魂)の頭部が肉体の頭部から姿を現し、形を整え始めます。
同時に、全体を包んでいた霊気も大きく変化し始めました。
そして形ができあがって完全になるにつれて、霊気はしだいに消えていきました。
このことからデイヴィスは次のことを知りました。
すなわち、肉体の頭部を包んでいた柔らかくきめ細かな霊気(気・エネルギー)とは、肉体から抽出されたエキスであると。
で、それが頭部に集められ、宇宙の親和力の作用によって霊体(魂)の頭部を形づくるのだ、ということです。
霊体(魂)は全身へと広がり完全な形を整えていく
表現しようのない驚きと、天上的とでもいうべき畏敬の念をもって、デイヴィスは、眼前に展開するその調和ある神聖な現象を見つめていました。
やがて頭部に続いて、首・肩・胸、そして全身が、頭部のときとまったく同じ要領で次々に出現し、美しい形を整えていきました。
こうした現象を見ていると、人間の霊体(魂)を構成している無数の粒子には、「不滅の友情」ともいうべき親和力が本質的に備わっているように思われました。
注目すべきは、肉体にあった欠陥や奇形が、新しくできた霊体においては完全に消えているという点です。
肉体の完全な発達を妨げていた霊的因縁が取り除かれ、束縛から解放された霊体(魂)が、本来あるべき姿に立ち帰るのです。
苦痛に見えるものは魂(意識)の分離の反応にすぎない
こうした霊的現象がデイヴィスの霊眼に映っている一方で、患者の最期を見守る人々の肉眼に映っていたのは、苦痛と苦悶の表情でした。
しかし実際には、それは苦痛でも苦悶でもありません。
霊的要素(魂・意識)が手足や内臓から脳へ、さらに霊体へと抜け出ていくときの反応にすぎないのです。
霊体(魂)と肉体をつなぐ「銀の紐」——死後に切れるへその緒
霊体(魂)を整え終えた霊は、自分の亡骸の頭部のあたりに垂直に立ちました。
これで六十有余年にわたって続いた二つの身体のつながりが、いよいよ途切れるかと思われました。
その次の瞬間、デイヴィスの霊眼には、霊体(魂)の足先と肉体の頭部とが、一本の電気性のコード(いわゆる「銀の紐」)によって結ばれているのが映りました。
明るく輝き、生気に満ちていました。
これを見てデイヴィスは思いました。いわゆる「死」とは、魂(霊体・意識)の誕生にほかならないのだ、と。
それは次元の低い身体と生活様式から、一段と高い身体と、それにふさわしい才能と幸福の可能性をもつ世界への誕生なのです。
さらに、母親の身体から赤ん坊が生まれる現象と、肉体から霊体(魂)が誕生する現象とはまったく同じで、へその緒の関係まで同じだと気づきました。
この電気性のコード(銀の紐)こそ、そのへその緒に相当するのです。
臨死体験・仮死・蘇生の背後にある霊的なしくみ
コードはなおも二つの身体をしっかりとつないでいました。やがて切れる直前、コードの一部が肉体へ吸い込まれていきました。
吸い込まれた霊素は分解されて全身に行き渡り、これは急激な腐敗を防ぐためでした。
その意味で、死体は完全に腐敗が始まるまでは埋葬すべきではありません。
たとえ医学上は死が確認されていても、実際にはまだ電気性のコード(銀の紐)によって霊体(魂)とつながっている場合があるからです。
事実、完全に死んだと思われた人が数時間後あるいは数日後に生き返り、その間の楽しい霊界旅行の話をした例もあります。
これは現代でいう臨死体験(Near-Death Experience)と同じ現象です。
肉体からの離脱が中途半端な場合、その間の記憶はたいてい思い出せません。
しかし魂(霊体・意識)が肉体から完全に離脱し、電気性のコード(銀の紐)によってつながれたまま自由に動き回ったときの記憶は、明るく楽しいもので満たされています。
これが臨死体験者が共通して「穏やかで美しい体験だった」と報告する理由です。
死後の霊体(魂)は健康で美しく、記憶・個性・意識はそのまま保持される
こうして、しつこく魂との別れを拒んでいた肉体から、ついに霊体(魂)が完全に分離しました。
霊体はさっそく霊界の外気から新しい霊的養分を吸収し始めました。
よく見ると、霊体(魂)もまた肉体と同じ体形と内臓を備えていました。
心臓も胃も肝臓も肺も、その他肉体に備わっていたものはすべてそろっています。
いわば肉体を、より健康に、より美しくしたようなものです。
何とすばらしいことでしょうか。決して姿形が地上時代とまったく変わってしまったわけではありません。
もし地上の友人知人が霊眼でその姿を見たなら、長く病床にあった人が元気になって退院してきた姿を見たときのように驚くはずです。
「まあ、奥さん、お元気そうですわ。すっかり良くなられましたのね」と。
死後の意識(魂)は家族の悲しみをどう見ているのか
彼女は引き続き、霊界の新しい要素と高度な感覚に自分を適応させようと努めていました。
特記したいのは、彼女が自分の死の全過程を終始冷静な意識のもとで受け止めていたこと、そして家族の嘆きや悲しみに巻き込まれなかったことです。
彼女はひと目で、家族には自分が冷たく見えるであろうことを理解していました。
しかし自分の死を悲しむのは、自分がこうしてなお生き生きとした意識・魂として存在しているという霊的真実を、彼らが知らないからだとも理解していました。
死は苦しみではない——霊界への第二の誕生として理解する
人間が身内や知人友人の死に際して嘆き悲しむのは、目の前に展開する表面的な死の現象から受ける感覚的反応によるものです。
大部分の人は、肉体の死がすべての終わりだと思い込んでいます。
しかしデイヴィスは確信をもって述べています。死に際して、本人の魂(意識)は何一つ苦痛を感じていない、と。
たとえ病で肉体が衰えきって死んでも、あるいは事故で亡くなっても、本人の魂(霊体・意識)は少しも病に侵されず、決して行方不明にもなりません。
もしあなたが、生命の灯の消えた肉体から目を離し、霊眼でそのあたりを見ることができればどうなるでしょうか?
すぐ前に、その人がすっかり元気で、しかも一段と美しくなった魂(霊体)の姿で立っているのを見るでしょう。
だから本来「死」とは、霊界への第二の誕生として喜ぶべきものなのです。
死に方によって魂(霊体)の旅立ちは変わるのか
ちなみに「人は死んだらどうなるのか」ということは、実のところ、死に方によっても異なります。
デイヴィスは、天寿を全うした場合と、事故など不自然な死の場合とで、魂(霊体・意識)の肉体からの分離プロセスが大きく異なることを述べています。
天寿を全うした死——本人が死に気づかないほど穏やかな旅立ち
人間がその与えられた天寿を全うしたとき、生体電気がごくおだやかに、そっと肉体から離れていきます。
その過程はあまりにも自然で穏やかなため、あたかもこの世への赤子の誕生のごとくであるといいます。
つまり、本人の魂(意識)は自分が死んだことに一向気づかないことすらあると。デイヴィスは語っています。
これは「死は苦しみではなく、霊界への第二の誕生である」というデイヴィスの洞察と完全に一致します。
天寿を全うした死においては、魂(意識)は苦痛なく、ごく自然に霊界へと移行します。
不自然な死・事故死——魂(意識)にショックが残る場合
一方、事故や突然死など、不自然に強いられた死の場合は事情が違ってきます。
まず、苦痛が伴うために魂(意識)はそれを意識せざるを得ず、さらにショックも残ります。
そんな場合は一時的に感覚の休止という現象が生じます。つまり死後の睡眠状態です。
それが何日も何日も続くことがあり、霊体のほうは霊の道具となるための準備がまだまだ不足している状態となります。
事故のような急激なショックによって分離した場合はさらに深刻です。
そういう場合は接着剤に相当する電気性エネルギーが豊富に残っているために、肉体からの魂(霊体)の分離が容易に行なわれません。
しかし、否でも応でも離れざるを得ない。そこに苦痛が生じます。
事故による精神的ショックが死後もずっと尾を引いて、霊的な回復をおくらせるといいます。
いわば無理やりにもぎ取られた青い果実のようなもので、霊界での目覚めがおそく、回復に相当期間を要するのです。
死に方の違いをまとめると
デイヴィスの観察を整理すると、次のようになります。
天寿を全うした死では、生体電気がおだやかに離れていくため、魂(意識)は苦痛なく自然に霊界へ移行します。
本人が死に気づかないほど穏やかな旅立ちとなります。
事故など不自然な死では、電気性エネルギーが豊富に残っているために分離が困難となり、苦痛とショックが生じます。
死後の睡眠状態が続き、霊界での目覚めと回復に相当な期間を要します。
いずれの場合も、魂(霊体・意識)は死後も存続し続けます。
天寿を全うした穏やかな死であれ、事故による突然の死であれ、魂が消滅することはなく、最終的には霊界へと移行していくというのがデイヴィスの一貫した立場です。
デイヴィス自身の幽体離脱体験——死のプロセスは毎日実証されていた
デイヴィスが死の瞬間を詳細に語ることができた背景には、単なる霊視能力だけでなく、毎日のように繰り返していた幽体離脱(体外離脱)の体験がありました。
デイヴィスはこう述べています。
霊が肉体から分離するとき(死亡するとき)、霊は、それまで肉体を被うように充満していたエーテル的物質を吸収し、それでもって霊界での形体を整える。
こうしたことは私自身の毎日の幽体離脱から知ることが出来る。
外界から内界へ、言いかえると低い世界から高い世界への移行を繰り返すことによって毎日のように実証していることである。
『自然の原理・神の啓示・人類への声(The Principles of Nature, Her Divine Revelations, and a Voice to Mankind)』
つまり、先ほどの霊視観察で描写された「魂(霊体)が肉体のエキスを吸収しながら形を整えていくプロセス」は、デイヴィスが毎日の幽体離脱で自分自身を通じて実証していたことでもあったのです。
幽体離脱の状態で見えるもの——霊界と宇宙の秘密
幽体離脱した状態でデイヴィスには何が見えたのでしょうか。
肉体から離れて幽体離脱した私は、ある力のおかげで第二の霊界の様子が見えるようになり、同時に、第二の霊界に関する情報が地上に関する情報といっしょに手にとるようにわかる。こうして次元を高めることによって宇宙のあらゆる天体の秘密を霊覚によって探ることができるようになる。
幽体離脱の状態では、霊界の情報と地上の情報が同時に、手にとるようにわかる——これがデイヴィスの透視・霊視能力の源泉でした。
宇宙の構造・太陽系の成り立ち・死後の世界の詳細など、デイヴィスが著書で語った膨大な内容の多くは、この幽体離脱の状態で得た情報に基づいています。
幽体離脱と死のプロセスは本質的に同じ
デイヴィスの観察で特に重要なのは、幽体離脱と死のプロセスが本質的に同じであるという指摘です。
私は外界から内界への移行をいつも体験しているのであるが、これはいずれ死に際して誰もが体験するものであって、ただその時の付帯状況次第で人によってはそれが苦痛であったり恐ろしく思えたり、あるいはさびしく陰気なものとなるかも知れない。
幽体離脱は、意識(魂)が肉体から一時的に分離して高次の世界へ移行する体験です。
死はその一時的な移行が永続的なものになる——ただそれだけの違いに過ぎないとデイヴィスは示唆しています。
付帯状況によって体験の質が異なるという点も重要です。穏やかな状態で迎えれば、幽体離脱も死も、高次の世界への自然な移行として体験されます。
しかし心の準備がなく、恐怖や抵抗の中で迎えると、苦痛や恐ろしさとして感じられることもある。
これは前項で述べた「天寿を全うした死」と「事故死」の違いとも深く関わっています。
死は最も賛美に値する現象——デイヴィスの確信
毎日の幽体離脱を通じて死のプロセスを繰り返し体験したデイヴィスは、死についての独自の確信を持っていました。
『死』と呼ばれる現象は実はあらゆる現象の中でも最も賛美に値する現象であり、誰しもその到来を何よりも楽しみに待ち望み、有難いことと思うべきものである。
「死んだらどうなるのか」という問いへの恐怖や不安は、死を経験したことがないからこそ生じます。
しかしデイヴィスは幽体離脱という形で、毎日のように「死に似た体験」を繰り返していました。
その体験に基づく確信だからこそ、この言葉には重みがあります。
死は終わりではなく、より高次の世界への移行。
魂(意識・霊体)は死後も存続し、記憶・個性・感覚を保ったまま霊界での新たな生を始める。
これがデイヴィスが幽体離脱と霊視の両方を通じて確信した「死後の真実」でした。
死後二時間半にわたる魂(霊体)の動き
以上、デイヴィスが霊視した死の現象が完了するのに要した時間は、ほぼ二時間半でした。
引き続き魂(霊体)の動きを追うと、彼女は霊界の外気に慣れてくると、亡骸の頭上から意志の力で床へ降り立ちました。
そして寝室のドアから外へ出て行きました。
霊魂(意識体)が、われわれの呼吸するこの大気の中を、まるで普通の人間のように歩くことができる。
デイヴィスはそれを目にして、喜びと驚きに圧倒されました。それほど霊体(魂)は精妙化されているのです。
霊体(魂)は迎えに来た二人とともに死後の世界(霊界)へ去っていった
彼女は、われわれが地上を歩くように、いともたやすく大気中を歩き、小高い丘をのぼって行きました。
家を出てほどなくして、二人の霊(魂)が彼女を迎えに来ます。
三人はやさしく挨拶を交わしたあと、そろって地球のエーテル層を斜めに歩き出しました。
その様子はあまりにも自然で気さくで、デイヴィスにはそれが大気中の出来事であることが実感できないほどでした。
まるで、いつも登る山道でも歩いているかのようでした。三人の姿をずっと追い続けると、やがてついに視界から消えました。
肉体とは魂が脱ぎ去った抜け殻——蝶と毛虫の比喩が示すもの
霊視から戻ってみると、美しく若々しい霊姿(魂の姿)とはうって変わっていました。
生命の灯の消えた冷え切った亡骸が、家族の者に囲まれて横たわっています。
まさしくそれは、蝶が置きざりにした毛虫の抜け殻でした。肉体とは、魂(霊体・意識)が脱ぎ去った抜け殻にすぎません。
デイヴィスのこの洞察は、「人は死んだらどうなるのか」という問いへの、一つの明快な答えになっています。
臨死体験との共通点——現代の証言が裏づけるもの
話しは少し脱線しますが、このデイヴィスが19世紀に霊視で記録した死の過程は大変興味深いものがあります。
20世紀以降に報告されるようになった臨死体験(Near-Death Experience)の証言と驚くほど一致しているからです。
臨死体験者が共通して報告する体験として次のものがあります。
肉体の外に出て自分の身体を上から見下ろす体験、明るい光のトンネルを通る感覚、亡くなった家族や知人に迎えられる体験、極めて穏やかで平和な感覚などなど。
これらはすべてデイヴィスの霊視記録と符合しています。
特に注目すべきは「迎えに来た二人の霊」の記述です。
デイヴィスは死後の魂が二人の霊に迎えられ、ともに去っていく様子を観察していますが、臨死体験者の証言にも「亡くなった身内が迎えに来た」という報告が非常に多く見られます。
また「死の際に苦痛はない」というデイヴィスの観察も、臨死体験者の「死の瞬間は痛みがなく、むしろ穏やかだった」という証言と一致しています。
デイヴィスの記録は19世紀のものですが、現代の臨死体験研究が同じ結論に近づきつつある点は、単なる偶然とは言い切れません。
まとめ——人は死んだらどうなるのか
デイヴィスの霊視記録が示す「死後の世界」を整理すると、次のようになります。
死の瞬間、魂(霊体)は肉体から分離し始めます。
全身のエネルギーが頭部に集中し、肉体のエキスから霊体が形成されていきます。
霊体は電気性のコード(銀の紐)によって肉体とつながれたまま完全な形を整え、やがてそのコードが切れることで完全な分離が完了します。
死後の意識・記憶・個性はそのまま保持されます。
霊体は肉体と同じ顔・体形を持ちながらも、若く健康で美しい姿となっています。生前の病気や奇形は霊体には現れません。
死は苦痛ではありません。
外から見ると苦しんでいるように見える死の表情は、霊的エネルギーが肉体から離れていく際の反応にすぎず、本人の魂は苦痛を感じていません。
死後の魂は霊界へと向かいます。
迎えに来た存在とともに地球のエーテル層を移動し、霊界での新たな生活が始まります。
デイヴィスは死について、こう語っています——
「死とは霊界への第二の誕生にほかならない。霊が鈍重な肉体から抜け出し、一段と高い幸福な境涯へ生まれ変わっただけ。
もし人がこれを嘆き悲しむのなら、地上の結婚を嘆き悲しむことと同じことである」と。

