スッタニパータ「慈経」とは?|慈しみの言葉と唱える意味

スッタニパータの中には、短いながらも心に深く残るお経があります。
その一つが「慈経」です。

「生きとし生けるものは幸福であれ。安泰であれ。安楽であれ。」

この言葉はとても有名です。ご存じの方もいらっしゃるかと思います。

慈経のよさは、シンプルなかたちで慈しみの心をそのまま言葉にしているところですね。

このお経は、ただ読むだけでなく、繰り返し唱えることで心に作用してくるところがあると感じています。

ここでは、スッタニパータの「慈経」とはどういうお経なのか、またお経の文言を唱えることでどんな作用や意味があるのかを、実体験ベースで書いてみたいと思います。

慈経とは——スッタニパータの中の珠玉のお経

このスッタニパータには「慈経」というお経が含まれています。

第一章「蛇の章」の八番目ですね。

「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」

という有名な言葉が収録されている原始仏典です。

「慈経」は、昔から馴染んでいます。

今日は、そんな馴染みのある「慈経」のお話し。

スッタニパータそのものは、全体としてはなかなか難しいお経です。けれども、その中には短いながらも心に残る章があります。

その一つが、この「慈経」ですね。

慈経の言葉——生きとし生けるものは幸福であれ

そんなこともありますが、しかしながらスッタニパータには、短いながらもよいお経もあります。

その一つが「慈経」です。

中村元先生の翻訳では「慈しみ」となっています。

うーん、ここはズバリ「慈経」とか、もう少し格調高い言葉で訳して欲しかったですかね。

で、「慈経」には、有名な言葉があります。最初にも書きましたが、少しアレンジしますと、

「生きとし生けるものは、幸福であれ。安泰であれ。安楽であれ。」
「生きとし生けるものが幸せでありますように」

これですね。

慈経の言葉を唱えて25年以上

昔、この言葉に大変感銘を受けて、それ以来、ひんぱんに唱えています。

そうして、自分の中に、慈悲を奮い立たせるようにしています。もう四半世紀以上、毎日、唱え続けています。

このお経のよいところは、難しいことを言っていないことですね。

ただ、お経の内容は驚異的です。

慈しみの心の大きさに驚く

高校生の頃にはじめて手にして、この「慈経」を読んだのですが、その「慈しみ」の心の徳の大きさと、垣根のないホンモノの人類愛であることを知って、腰を抜かさんばかりに驚いたものでした。

あり得ない、あり得ない。人間が、誰に対してでも慈しみ・愛の心を抱くなど、絶対にあり得ない!

そもそも自分には、そんな徹底した人類愛など無い。で、本当にそんな崇高な慈悲の心を身につけるなんて、本当にできるのか?

当時の私は思ったものでした。

自分には無理と思いつつも慈しみに惹かれる

しかし。しかし、自分の心のどこかにひっかかる。というか、強烈に惹きつける何かがある。

自分には「無理だ」と思いながらも、強烈に惹きつけられ、「自分も体得てみたい」「味わいたい」という猛烈なあこがれが出てきて、その後、自分なりに慈悲の習得の実践をはじめたものでした。

慈しみの言葉と私との関わりについては、こちらに書いています。

ブッダのことば「慈しみ」がわかったとき|自己観察と祈りで慈悲が育つまで

慈経が説く「慈しみ」——その本質と深さ

「生きとし生けるものは、幸福であれ。安泰であれ。安楽であれ」——慈経のこの言葉は、単なる美しい表現ではありません。ブッダが比丘たちに実践を求めた、霊性の最高峰に触れる言葉ですね。

慈しみとは何か——やさしさを超えた心

「慈しみ(メッター、mettā)」とは、平たく言えばおもいやり・やさしさ・親切心のことになります。

けれどもお経に説かれる慈しみは、日常的なやさしさとは性質が根本的に異なるんですよね。

「あたかも、母がおのが独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対して、無量の慈しみの心を起こすべし」

——私が10代のときに仰天したこの尊い心が、慈経の一節に記されていましたが、慈しみとは垣根のない・条件のない・無量の心です。

好きな人にだけやさしくする。恩恵を受けた相手にだけ感謝する。これは日常的なやさしさです。

慈しみはそれを超えます。怨みなく、敵意なく、障害なく——すべての存在へ向けられる普遍的な愛の心、これが慈しみの本質です。

ちなみにキリスト教では、愛。慈しみに満ちあふれる体験を「聖霊体験」といっています。

慈しみは真我・根源意識から生じる

慈しみがなぜこれほどパワフルなのか。それは慈しみが、エゴ(小さな自己)から生じるのではなく、善性・霊性から生じる性質だからです。

善性・霊性は、世界中でさまざまな宗教などを言われています。

「根源意識」「内なる神」「内なる光」「ハイヤーセルフ」「宇宙意識」「オーバーソウル」「サムシンググレート」——時代も地域も異なる思想家・宗教者たちが、それぞれの言葉で言っていますが、その中身は同じです。

どいう言い方をするにせよ、仏教的にいえば善性・霊性になります。

この善性・霊性から慈しみ・善・愛があふれ出てきます。逆にいえば、慈しみを実践することは、実のところ根源意識に近づく実践にもなります。

仏教では、根源意識という言葉や概念は使いませんし、タブーにもなっていますが、実際の体感からいえば、根源意識などの言い方のほうがぴったりします。

言い方はどうであれ、慈経の言葉を繰り返し唱え、慈しみの心を育てることは、単なる「いい人になる」ための努力ではなく、根源意識に触れ、霊性を育む実践になると思います。

慈しみの実践がもたらす果報——パーリ仏典の証言

ちなみにパーリ仏典「増支部経典 十一集 第二臆念品 十六『慈』」には、慈しみの実践がもたらす驚くべき11の効果が記されています。

熟睡、安眠、朝の目覚めの良さ、悪夢を見なくなる、人から好かれる、動物からも好かれる、神様・天人からも好かれる、火事・食中毒・事故・ケガ・病気に遭いにくくなる、深い瞑想に入りやすくなる、顔色が良くなる、朦朧としなくなる、死後最高の神に生まれ変わる——これだけの効果が慈しみの実践から生じるとされています。

慈悲による11の効果効能が驚異的!~パーリ仏典 増支部経典 十一集 第二臆念品 十六「慈」

またパーリ仏典「増支部経典 第七集 第六『無記品』」には、ブッダの過去世における「慈悲三昧」の話が伝わっています。

7年間、慈悲(無条件の愛)に徹した結果、宇宙が生じては滅するのを7回繰り返す間ずっと宇宙最高神であり続けたという逸話です。

ブッダの過去世が示す慈悲の大きな果報

慈しみはスピリチュアルにおける究極の実践ともいえます。慈悲に徹するだけで、スピリチュアルの最高峰を実現できる——それが仏典の証言です。

大切なのは行為の量よりも、どんな心であり続けたかですね。慈悲で心を満たし、その心の様であり続けること。また慈しみの心で、日常の生活を過ごし、人にも対応していく——これが重要ですね。

慈経の言葉は心を動かし、慈悲を育てる

ちなみに、「生きとし生けるものは、幸福であれ。安泰であれ。安楽であれ」は、他にも翻訳があります。言い方はどれでも良いと思います。

大切なのは、この言葉から得られる心の状態ですね。

大切なのは言葉から生まれる心の状態

言葉は大切です。

言葉によって、心が動きます。変わります。

方便的な道具であっても、この道具を使うことで心を変えることもできます。

言葉は大切ですね。善い言葉は、繰り返し、繰り返し唱えるのがおすすめです。

慈経をリズミカルに唱えると心がやわらぐ

慈経の言葉は、ハイレベルな慈悲の心を説いていますが、しかし自分なりに言葉を整えて、リズミカルに唱えるようにすると、やさしい気持ちにしてくれると思います。

心がやわらかくなったり、自我の強さがほどけたり、慈悲につらなる「やさしさ」を育むようになります。

「生きとし生けるもの、幸福であれ。安泰であれ。安楽であれ」

これをリズミカルに心の中で唱えていく。口に出して言ってみる。

すると、どこか心がなごみ、ほぐれてくることも。

スッタニパータは平易に読めても理解が難しいお経

ところで「ブッダのことば(スッタニパータ)」は、原始仏典の小部経に属します。が、原始仏典の中でも難解なお経の部類に入ります。

でも一番人気があるんですね。1980年代に岩波文庫からリリースされて、今もなお人気があります。ロングセラーになっています。

けれども本当は、理解が難しいお経なんです。誤読も多いお経です。

そんな問題があるといいますか、誤読しやすいスッタニパータなのですが、何故か、日本では大人気だったりします。大変不思議な現象です^^

岩波文庫の「最も古くて新しい」といったキャッヒコピーが功を奏したのかもしれませんね^^

あと、これだけ最も有名になりますと、「これでいいのかな」とよくわからずに購入されている方が多いのかもしれませんね。

ほぼオートで販売促進となっている、マーケティングとしては良い事例として紹介できるほどですね^^;

慈経と吉祥経は在家にもおすすめのお経

で、スッタニパータは、在家向けの善い言葉が記された短いお経もあります。

慈経(第一蛇の章 八.慈しみ)
吉祥経(第二小さな章 四.こよなき幸せ)

この2つは、勝れた徳を示したお経で、在家が読むにもふさわしいお経だと思います。

特に在家にとっては、難解な思想を読みこなすことよりも、日々の心をどう整えるかのほうが切実だったりします。

そういう意味で、慈経や吉祥経のように、短く、しかも徳の方向をはっきり示してくれるお経は、かなり親しみやすいですね。

毎日の中で少し唱える。心に留める。思い出したときに反芻する。そういう関わり方でも十分意味があると思います。

ただし、中村元先生の翻訳は、平易な言葉過ぎますので、もうちょっと格調高い翻訳をしていただいたほうがよかったのではないかと思いますね^^;

なお慈しみの心を育む実践については、こちらでもまとめています。

慈悲の瞑想のやり方|体感・イメージ・言葉で行う実践のポイント

祈りや善い言葉のメリットについては、こちらで触れています。

祈りの効果とやり方|心をきよめ、霊性・真我に気づき、自分と周囲を明るくする実践

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