瞑想はあやしい?|令和になっても誤解が起きる理由

瞑想が「あやしい」と思われる理由

瞑想はあやしい?

50代以降の方は、「瞑想はあやしい」と思っている人が多そうです。いえ、多いですね^^;

この理由は、ズバリ、オウム真理教事件です。

もう、この影響が、いまだにあって、瞑想に対して警戒感を抱いている人は少なくありません。

今も誤解や警戒感が残っている

この前も某所の施設をお借りしようとしたとき、「瞑想会に使いたいんですが」といったところ、担当者は「ドキ」っとした顔をして、ちょっと気まずい雰囲気^^;

すかさず「いえ、宗教団体ではなく、個人の趣味で、同好会のように行っているんですけど」といったところ、担当者の顔もようやく緊張が解きほぐれた様子。

瞑想会のことは、こちらにまとめています。

瞑想会とは?何をするの?初心者でも安心して参加できる内容を解説

もうね、本当に、オウムの悪影響は計り知れません。いい迷惑ですね。

オウムは、宗教の悪いところが全部出まくった見本のようなものです。

これこそが天狗界、魔界なんですが、天狗界・魔界の宗教・瞑想・ヨガが、オウムといってもいいですね。

絶対にやってはいけない・あってはならないウルトラ反面教師です。

本当に大事なのは能力よりも境涯

仮に、麻原に何らかの能力があったとしても魔界なんですね。境涯がよくない。

で、能力があるとか、瞑想ができるとかよりも、どの状態(境涯)にあるのかがもっとも大事なことなんですね。

これが非常に大切。

剣がない、怒りの空気がない、疑い深いのがない、暗くない、重たくない、ドロっとしたのがないことは極めて重要です。

透明感、なごやかさ、春の日のようなあたたかさ、笑顔、ユーモア、笑い、屈託の無さといったなごんだ雰囲気。これが大事。この空気を気功では超重要視します。

瞑想を行う上にあたっては、場の雰囲気や、やわらかくゆったりした雰囲気が大切で、瞑想を深める理由になることは、こちらでも詳しく書いています。

瞑想会は「場」が大切|やわらかくゆったりした雰囲気が瞑想を深める理由

ホワイトな瞑想と危うい瞑想は違う

オウムのことは、口にするのもはばかるくらいでして、よくもまあ、ここまで悪徳のオンパレードをしたもんだと思います。

瞑想にしても何にしても、ホワイトなのがいいですね。ワタクシはホワイト路線です。

で、あの事件が1995年ですので、もう30年近くになりますが、50才過ぎの年配の世代になりますと、今でも「瞑想」「ヨガ」と聞くと、トドキっとした顔をされます。

インドでは昔から、当然のごとく聖音とされている「オーム」を唱えたものなら、公安や警察に通報されて、公民館の使用禁止になるんじゃないかと思います。

ホント、オウムは散々なことをしましたね。
で、ワタクシはオウム的なものや、似たような感じ、フィーリングのあるものは、お断りしています。

やっぱりヤバいんですよね。存在自体が。

この界隈はいろいろと気を使うところがあります。

瞑想で本当に大切な「気づき」や感受力については、こちらでも詳しく書いています。

瞑想の極意「気づき」とは何か|感じる力・感受力の本質を解説

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